アイコン 虐殺者擁護者のハントケ氏ノーベル文学賞受賞に怒りの声

 

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ノーベル賞は「平和」「人類貢献」がキーポイントだったはずだが、ノーベル財団もスウェーデン・アカデミーも放棄したようだ。

オーストリアの作家ペーター・ハントケ氏にノーベル文学賞を授与した決定に反発の声が上がっている。旧ユーゴスラビア紛争当事国の関係者からは、「ジェノサイド(集団虐殺)否定論者」への授賞は「恥ずべき」ことだとの指摘も出た。

1942年生まれのハントケ氏は、1990年代のユーゴ紛争を巡る発言や同紛争に絡み戦争犯罪で訴追されたセルビアの故ミロシェビッチ大統領と近い関係にあったことで批判を受けた。

2005年にはミロシェビッチ前大統領から国際戦犯法廷での弁護に立つように要請され、直接の弁護は断ったもののエッセーなどの言論でこれに答えていた。
2006年に行われたミロシェビッチの葬儀では弔辞を読んだ。ハントケ氏は、同年のインタビューで自身の判断を擁護し、ミロシェビッチ氏は「英雄ではなく悲劇の人間だ」「私は作家であって裁判官ではない」と語っていた。

授賞決定を受け、コソボのシタク駐米大使はツイッターで「あきれた判断だ」と反発。「ジェノサイド否定論者やミロシェビッチの擁護者を称賛すべきではない」とも述べた。
さらに、「私たちは人種差別主義への感覚がまひし、暴力に鈍感になり、安易な融和に流れるあまり、集団虐殺マニアのねじれた政策への同意と奉仕を看過してしまうのか」と問いかけた。

アルバニアのチャカイ外相代行も、授賞決定を「不名誉な恥ずべき行為」と評し、「人間の経験を豊かにする文学の永遠の美と力を心から信じる者として、そして民族浄化とジェノサイドの被害者の1人として、この判断にあぜんとしている」とツイートした。

ロイター通信によると、ハントケさんは受賞の連絡後に記者団の取材に応じ、「スウェーデン・アカデミーは勇気ある決定を下した」「奇妙な自由を感じる。何と言って良いか分からないが、無罪を言い渡されたかのような自由だ。それは真実ではないが」と語っていた。

CNNはノーベル文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーにコメントを求めた。ノーベル財団からはノーベル賞を授与する団体の独立した選考にコメントしないとの声明を受け取った。
スウェーデン・アカデミーは米紙ニューヨーク・タイムズの取材に、選考委員会は文学的、審美的な観点で選考を行っており、「文学の質と政治的考慮との釣り合いをとることはアカデミーの義務ではない」と述べた。
以上、

1990年、多民族国家の社会主義政権の旧ユーゴスラビアにおいて、ユーゴスラビア共産党による一党独裁を廃止して自由選挙を行うことを決定、ユーゴを構成する各国ではチトー体制からの脱却を開始した。

各国ではスロボダン・ミロシェビッチ(セルビア)やフラニョ・トゥジマン(クロアチア)に代表されるような民族主義者が政権を握り始めていた。

ユーゴの中心であるセルビア共和国では、大セルビア主義を掲げたスロボダン・ミロシェビッチが大統領となり、アルバニア系住民の多いコソボ社会主義自治州の併合を強行しようとすると、コソボは反発して1990年7月に独立宣言。

これをきっかけにユーゴスラビア国内は内戦状態となった。
1991年6月、文化的・宗教的に西欧・中欧に近いスロベニアが10日間の地上戦で独立を達成し(十日間戦争)、
次いで旧ユーゴスラビアのマケドニア共和国が独立。
ついで、歴史を通じてセルビアと最も対立していたクロアチアが激しい戦争を経て独立した(クロアチア紛争)。

ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年に独立したが、国内のセルビア人がボスニアからの独立を目指して戦争を繰り返した(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争)。
セルビア国内でもコソボ自治州が独立を目指したが、セルビアの軍事侵攻によって戦争となった(コソボ紛争1998年2月~1999年3月引き続き米軍主導のNATO軍によるアライド・フォース作戦による空爆~1999年9月)。

その後、コソボ地域のアルバニア系住民がマケドニア国内に難民として大量に押し寄せたことから、マケドニアにも飛び火した(マケドニア紛争)。

スロベニアやマケドニアが、比較的スムーズに独立を達成した。
一方で、ボスニア・ヘルツェゴビナやクロアチア東部、コソボでは、スレブレニツァの虐殺(1995年7月、ボシュニャク人=イスラム教徒約8000人虐殺/ボスニア系のセルビア人のカラジッチ主導/ミロビェッチ政権)のような凄惨なジェノサイド、レイプ、追放による民族浄化が起きた。

こうした戦争犯罪の一部は、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で裁かれた。ミロシェビッチもその一人だった。
旧ユーゴスラビアは共産党によるチトー独裁体制で、民族や宗教を押さえ込んでいたが、ソ連崩壊によりドミノ現象で東欧の社会主義国は崩壊し、同国も各民族が独立を目指し武力紛争に突入多くの悲劇が生じた。
ハントケは作家だが、同地への紀行でミロシェビッチ大統領と知り合い、その後のNATO群の攻撃で失脚したものの擁護していた。

西側から見れば、ミロシェビッチは戦争犯罪者だろうが、セルビア人から見たら英雄、世の中、すべて勝てば官軍。
旧ユーゴは社会主義体制下で理解しがたく、独立していく周囲環境もあり、内戦になってしまったが、時代がもたらした人物でもあろうか。ただ、大量虐殺は擁護できるものではない。また、彼を擁護するのは、第3者が自由だろうが、ノーベル賞を受賞する資格があるかは別問題だ。ノーベル賞もガキに平和賞を授与するなど、茶番賞になりつつあるようだ。
スウェーデンやフィンランドはNATOに加盟していない。

 

[ 2019年10月12日 ]

 

 

 

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