アイコン 時勢の悍馬から落ちた翁長知事に新疑惑

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農と島のありんくりん
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移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する

時勢の悍馬から落ちた翁長知事に新疑惑

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時勢というのは、例えればある種の生き物のようなものです。

いったん勢いがつくとそれ自体が熱を帯び、エネルギーを発散しながら駆け抜けていきます。

司馬遼太郎は『翔ぶが如く』の中で、<時勢>を悍馬に例えています。その一節です。

「英雄ほど悍馬にのせられる。英雄とは時勢の悍馬の騎乗者のことをいう。西郷という人がそうであった。時勢の悍馬に騎り、二百七十年の徳川幕府をあっというまにうち倒してしまった。

幕府は時勢という悍馬に蹴散らされたのであって、西郷その人に負けたわけではない。

が、世間はそうは思わず、倒幕の大功を西郷に帰せしめた。このため維新後、西郷はとほうもなく巨大な像になってしまった。(略)

幕府が倒れることで時勢という悍馬は消えた。幕府を倒した悍馬はいまどこにも居ない。
いや、この譬えは正確ではあるまい。悍馬は居る。西郷の尻の下だけに居るのだ」

司馬はここで西郷を「時勢の悍馬に乗る者」とし、それが彼の現実の姿とは離れて「巨大な像」になってしまったことが、西南戦争という日本最大の内乱につながったとしています。

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さて、2014年12月10日、沖縄はひとりの「英雄」を生み出しました。翁長雄志知事です。

私は翁長氏に対して批判的ですし、西郷とは較べるべくもありませんが、彼が<時勢>の悍馬に騎乗する人物だったことは間違いないことだと思っています。

翁長氏は「民意」と称する不定形のエネルギーに押されるようにして、その猛々しい馬の上で丸3年間を駆け抜けてきました。

かつての幕末の<時勢>が倒幕ならば、沖縄のそれは「移転阻止」でした。

そしてその<時勢>の「悍馬はいまどこにも居ない」のです。悍馬は走るのを止め、荒い息を吐いています。

ちょっと前に高江紛争は続くだろうという意見がありましたが、私はないと思っていました。

闘争も生命体である以上、生成-勃興-消滅のサイクルを辿るからです。

今その悍馬があるのは、翁長氏の「尻の下」だけです。

移転阻止紛争は、昨年12月暮れの承認拒否裁判の最高裁判決で完全に終了しました。

いまだ自分の「尻の下」だけには悍馬がいると錯覚している翁長氏は、「あらゆる方法で阻止する」などと言っていますが、そのようなことを言えば言うほど何もできないことをあからさまにするだけな事に、この人物は気がつかないようです。

この翁長という人物の耐えられない軽さは、自分の政治家としての器量がこの数年の状況を生み出したと錯覚していることです。

下の写真は翁長氏が首相と初対面した絶頂時の頃の写真ですが、この傲岸な姿を見ると、彼に「琉球王」という異名がついたのもむべなるかなです。
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残念ながらこの<時勢>の悍馬の飼育者は沖縄県民でした。翁長氏はただその背中にしがみついて振り落とされないよにうにしていただけにすぎません。

翁長氏は<時勢>が作り出したにすぎない自分の「巨大な像」を過信するあまり、首相の仕掛けた戦略的妥協の「罠」にはまりました。

首相は勝てる裁判をいったん捨てて、「和解」をもちかけ、その間10か月間に渡って工事を停止してみせました。

このやり方は私たちを驚かせましたが、日韓合意と同じ政治手法です。譲歩し和解のための道筋を示した上で不可逆的な確約を交わすわけです。

本来違約は許されないはずですが、韓国も翁長氏も同じような道を辿ります。

帰り道は既に閉じているにかかわらず、敗北を認めることがイヤなために見苦しく暴れれば暴れるほど、いっそう「罠」が強く絡んでいくのです。

韓国にとって慰安婦像が日本外交のカードになってしまったように、いまや承認拒否カードは政府のカードとなってしまいました。

翁長氏に同情的に言って上げれば、相手が悪かったのです。安倍首相と政治家としての格が違いすぎました。

かくしてこの<時勢>の悍馬は完全に消滅しました。

承認拒否裁判敗訴、高江紛争敗北、辺野古工事再開、宮古市長選のオーンゴール、安慶田副知事の斡旋疑惑による辞任、訪米の無収穫、そして日米両首脳の移転方針の確約、そして先日の浦添市長選の大差での敗北。

よくぞここまで負け続けるものよ、と思うほどの惨敗街道まっしぐらです。
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もはやこの流れは止められません。

<時勢>の振り子は、沖縄の歪んだ政治軸の修正に入りました。

そして、<時勢>の悍馬の背からころがり落ちた人間に対して、この冬はひときわ寒いものだったはずです。

翁長氏に、新たなあらたな疑惑が発生しました。

県病院事業局次長に、県庁の総務部長から任期を残しての辞職勧告があり、これを翁長知事の側近が指示していたことが発覚しました。(欄外に記事全文)

いまだ真相は、地元紙がなぜか報道しないために明瞭になっていませんが、安慶田副知事疑惑と同様の、職権乱用の横車がひんぱんに県庁とその外郭団体の間で行われていたことを示唆するものです。

翁長氏の本質は「政府に抵抗する政治家」ではなく、ただの利権漁りとポスト配りだけが能の政治屋です。

いまや自民党でも希少種となってしまった、地方政治によくいるヤニ臭いオールド・ポリティシャンにすぎません。

今後いっそう吹きすさぶ冬の風が、翁長氏から「英雄」がまとっていた王衣を剥いでいくことでしょう。

まだほんの始まりにすぎません。
               ~~~~~~~~~~
■産経2月14日

翁長雄志沖縄知事が隠蔽把握か 側近が画策 県幹部の不当働きかけ
沖縄県立病院を運営する県病院事業局の伊江朝次局長の進退をめぐり県幹部が辞職を働きかけた疑惑が浮上し、翁長雄志知事の側近が働きかけの隠蔽(いんぺい)を画策していることが13日、分かった。

不当な働きかけを暗に認め、翁長氏も指示や了承の形で隠蔽工作を把握している疑いが強い。

安慶田(あげだ)光男元副知事が教育庁職員や学校長の人事に介入した疑惑などで引責辞任しており、不当な働きかけが常態化している可能性もある。

県立病院は住民福祉増進のために設置する地方公営企業。地方公営企業法では病院事業局長
のような管理者は体調不良や適格性欠如が認められた場合のみ任命権者の知事が罷免することができると規定している。

 病院事業局長の任期は4年で、平成22年4月就任の伊江氏は2期目の3年目。
 関係者によると伊江氏は今年1月5日頃、格が下の総務部長から任期途中での辞職願提出を促され、退職理由の書き方を部長に確認した上で提出。部長の働きかけは不当の疑いが強い。
 
県は働きかけを否定しているが、浦崎唯昭副知事が伊江氏を任期満了まで続投させる調整に入ったことが判明。続投により働きかけ疑惑の幕引きを図りたい意向も関係者に伝えており、隠蔽工作とみられる。

 浦崎氏は安慶田氏と並ぶ翁長氏の側近。複数の県幹部によると、浦崎氏が独断で隠蔽を画策することは考えにくいという。

 一方、安慶田氏は教育庁人事で特定の人物とポストを挙げ異動を指示した疑惑などで先月23日に辞任。安慶田氏は昨年、伊江氏に辞職を促したことがあるが、今年に入ってからは伊江氏と接触していない。総務部長による辞職の働きかけに安慶田氏が関与していたかについても、今月15日に開会する県議会で野党が追及するとみられる。

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[ 2017年2月18日 ]

 

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