アイコン 衆院選・長崎4区、北村誠吾氏の公認が発表された。

Posted:[ 2021年10月16日 ]

北村

きょう、10月15日、ゴタゴタが続いていた衆院選・長崎4区の公認を北村誠吾氏に決定したと自民党本部は発表した。

北村氏は第42回衆議院議員総選挙が行われた平成12年(2000)6月25日、初当選以来、連続7期当選し、防衛副大臣、内閣府地方創生大臣等を歴任してきた。



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北村誠吾氏が初当選した平成12年の選挙時に北村誠吾が戦った相手は当時現職の宮島大典氏(現在県議会議員・オールながさき)だった。

当時の詳細な状況などについては現在、宮島大典氏も県議会議員として活躍していることから、諸般の事情については割愛するが、大変な状況化の中で北村誠吾は当時の県議会議長・林義博議長に県議辞職願いを提出し、無所属候補として出馬、あの厳しい選挙戦を戦い抜き、自民党現職の宮島氏に2700票の差を付けて勝利している。

当時、現職の宮島大典氏は自民党幹事長派閥(宏池会・加藤紘一幹事長・後に加藤の乱で失脚)に所属し、若手のイケメン議員として2期目を目指していた若手のホープだった。

自民党現職の宮島氏の応援のために自民党本部は佐世保市に毎日のように、大物政治家を次から次に佐世保に送り込んで来ていた。

例えば総理になる前の森喜朗元総理はじめ金融大臣だった谷垣貞一(後の自民党総裁・幹事長)、幹事長代理だった野中拡務(後の官房長官)、地元長崎の久間章生元防衛大臣等々、名だたる自民党大物政治家が日替わりで佐世保にやって来ては、佐世保駅前やら京町アーケードで宮島氏の応援演説を繰り返していた。

現在、五番街がある埋立地では自民党宮島陣営はSSKの姫野社長を全面に立て、5000人規模の総決起大会を開くなど動員力を誇示、気勢をあげていた。

それに対して無所属の北村陣営の総決起大会は1500人くらいだったが、気力と気迫では負けていなかった。

そんな厳しい状況の中でも北村陣営は絶望することはなかった。

あれから21年、そんな北村誠吾氏が防衛政務官、防衛副大臣、北方・沖縄特別委員会委員長、内閣府地方創生大臣にまで上り詰めてきたから、今回の谷川弥一氏、金子原二郎氏(農水大臣)が仕掛けた4区公認の陰湿なイジメというかイジワル、いわゆる「瀬川の乱」によるゴタゴタバタバタ劇も乗り切りことができたのだ。

今からが本番である。また新たな気持ちで長崎県再生のために7期連続当選という実績掲げて活躍することを祈念している。

ここからが真の正念場、北村誠吾の8期目の戦いが始まる。

インターネット長崎奉行・遠山金四郎は北村誠吾を応援しています。

 


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