アイコン 東北大ら慶長奥州地震津波の物的証拠確認  ここ400年大津波頻繁に発生

Posted:[ 2022年2月 3日 ]

東北大・東大・北大、三陸海岸北部において1611年の慶長奥州地震津波の物的証拠を発見したと発表した。
○津波堆積物を含む地層を垂直方向に連続してミリ間隔の高密度で年代測定を行うことで、年代的に地層の欠損がないことを確認する手法を新たに開発し、抜け落ちのない津波の履歴を復元した。

○三陸海岸北部(岩手県野田村)から地層を採取し、1611年慶長奥州津波由来の堆積物を発見した。

○一方で、同地層には室町時代の1454年の享徳津波による堆積物は含まれないことも確認した。この結果は、享徳津波が三陸海岸北部を襲った可能性を否定するもの。享徳地震は群馬(上野)・千葉(上総)・福島(会津)で強震があったと記されている。1524年以前に編纂された『王代記』には奥州の大津波が記録されている。『王代記』に続く『年代記』では「奥州ニ津波打テ、百里山ノ奥ニ入テ・」と記され、2011年の東北沖津波に匹敵している。ただ、そうなれば、当然、津波堆積物が地層に現れるのだが・・・。



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○三陸海岸北部~中部における巨大津波発生間隔は、従来の想定より不規則であり、特に過去数百年間は、高頻度で巨大津波が発生していたことを明らかにした。
2011年の東北沖津波、1896年の明治三陸津波、1611年の慶長津波、869年の貞観津波などを考慮すると、三陸海岸では過去400年間に特に高頻度で巨大津波が発生していることも示されたとしている。
当調査にあたり、三陸海岸北部に位置する岩手県野田村を研究地域とした。野田村では14~17世紀に形成された津波堆積物を含む過去3000年分の地層が保存されていることが判明している。
以上、

フクシマ原発に対する津波意識は想定外とされたものの、東北の過去の大津波の歴史は歴史資料を見るだけでもいくらでも想定され、対策工事を前提に原発を建設する必要があった。建設当時に対応した地質学者がよほどの忖度学者だったようだ。学者として、有識者として、専門家として、国民目線などまったくなく、政治家のため企業のため免罪符を与え続けている。
また、それも原発地は川を埋め立て、既存河川の流路を変え建設されており、原発地下に山側から旧河川の伏流水沿いに地下水として流れて続けており、それが現在タンクに溜まり続けている。
権威の東大学者を筆頭に御用学者ほど日本を危うくする者たちはいない。

 

 


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