
(二期目の当選を果たした西岡竹次郎氏)
昭和32年6月1日、西岡知事による突然の佐藤副知事解任に、当の佐藤副知事も寝耳に水の話だったが、多くの長崎県民もびっくりしたことだろう。
伏線として考えられるのは、佐藤副知事解任劇8日前の5月23日に勃発した自民党県議団による内紛によって、自民党県議団が分裂し、その結果、金子岩三議長が西岡県政に批判的な野党勢力と結集し、議長に再任されたことだ。
その結果、西岡知事の議会対応は薄氷をふむように心細いものになっていく。
ただでも議会と良好な関係でなかった佐藤副知事の立場は微妙なものだった。
特に漁師から叩き上げてきた党人派の金子岩三議長と、帝大卒業であり、官僚主義的なインテリでもある佐藤副知事とは、元々ハダ合いが合わず、水と油の関係だった。

(若かりし頃の金子岩三氏)
以下は解任後の佐藤副知事のコメントである。
「全く理解のできない措置であって以外というほかはない。かかる西岡県政のあり方について批判は、みなさん方の公正なる判断にまつことにした。ただ、日夜親しく、ともに仕事をしてきた県庁職員4千余人に思いをはせ、その不安と憔悴を思うとき何となく心にかかるものがある。私は県庁職員がから事態にめげず、今後とも特定の人のためでなく、百八十万県民の奉仕者として、勇気をもって精励して頂くことを切に祈りたい。私は郷土長崎のため、感情と憎しみを超越し、正義に立脚した明朗闊達なる県政の確立に、微力ながら今後とも尽くしていきたいと考えている。私は身心とも健康、熱意をもって、過去半生の体験を生かして、公共の為、お役に立ちたいと思っている。西岡知事は最近身体のぐあいが悪いためか、やや精神的にも常軌を逸しているのではないかと懸念せられる。切にご自愛を祈りたい。最後に在任6年間に寄せられた県民の方々のご交誼に対し、心から感謝の意を表し、今後のご多幸とご発展を祈ります。」
と悔しさが滲み出るようなコメントをしている。マッカーサーが日本軍の猛攻に晒され、追われるようにしてフィリピンから撤退した時に言った、『I shall return』と、佐藤が言ったかどうかは定かではないが、佐藤勝也は、その8カ月後の昭和33年2月5日の県知事選挙で金子岩三氏を破り、長崎県知事となって長崎県庁に凱旋復帰している。
昭和26年4月3日、長崎県最後の官選知事だった現職の杉山宗次郎知事(60歳)を9万票という大差を付けて破って知事になった西岡知事は、岡山県で副知事をしていた長崎県島原市出身の佐藤勝也氏(47歳)を、“日本一の副知事”というふれこみで、岡山県副知事から長崎県副知事として迎えて、性格の激しい西岡知事と連れ添って大過なく補佐してきた佐藤勝也である。

(解任された佐藤勝也氏)
だれがみてもハダ合いの全く違う二人ではあったが、西岡知事もよく佐藤を立てて、庇うときにはよく庇い、外に対してはさざ波一つ立たない夫婦仲のようにみえていた矢先の、突然の首切り発表であるから、県民がびっくりするのは当然であった。
県内の各地で寄るとさわると、佐藤副知事解任が話題の中心となり、新聞も連日このことについて報道した。
西岡知事のコメント、佐藤副知事のコメント、解任の真の理由は何か、消息通の座談会、そして後任副知事のこと、西岡県政の前途は、といった調子で2ヶ月間にわたってこの話題でにぎわった。
しかし、解任した西岡知事の真意はなんであったかは、最後まで推測の域を出なかった。インターネットやSNSもX(Twitter)のない時代である。当時の新聞の記事によって、佐藤副知事解任の真相を追うより仕方がないのであるが、それによって大体次のような推測が生まれてくるのである。(伝記・西岡竹次郎より抜粋)
この7~8ヶ月後に3人の運命は時代の波に翻弄されていく。

金子岩三、51歳、金子原二郎、14歳の時である。
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次