アイコン 『長崎県を壊した男達』その10(佐藤勝也副知事を解任)



西岡
(病で静養中の西岡知事を見舞う金子岩三議長)

西岡竹次郎知事が永眠したのは昭和33年1月14日である。その7ヶ月前の県議会議長選挙と県政の事柄を検証しておかないと、竹次郎氏が亡くなった後に行われる昭和33年2月の長崎県知事選挙が理解しにくい、そこで当時の県政と議会の動きを、もう少しおさらいしておく

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西岡竹次郎

議長問題をめぐって、ごたごたを重ねた5月県議会が終わったのは5月28日である。
その4日後の6月1日、西岡知事は突如『佐藤勝也副知事の解任』を発表して長崎県民をびっくりさせた。

佐藤副知事解任と23日の自民党分裂、金子岩三議長再任劇は無縁ではない。
西岡知事は記者に沈痛な面持ちで語りかけた。『昨夜、(5月31日午後9時ごろ)副知事と二人きりで公舎で話した。
私は県政の根本的な在り方について、ざっくばらんに話した。
私は当然、副知事から私の考え方に対して話があるものと期待していた。
この話の時には、今後のことについては、ご相談に応ずるとの私の意思表示も行ってある。
6月1日は秩父宮妃殿下をご案内するため忙しい一日であったが、なんらかの意思表示があるものと待っていた。

殿下と
(秩父宮妃殿下を案内する西岡知事)

しかるに、私に対する意思表示がなされる前に副知事の方から他に話をしておられる。
それだけではなく、31日夜、副知事と話をした直後にこのことが他にもれている。全く反省の色なしというべきで、そういう態度をおとりになったことに対し誠に遺憾に堪えない。
私は、はじめ、2日まで待っていようと考えた。しかし、反省の色が全くないことを知ったので、今日(6月1日)午後6時半に解任の辞令をお渡しした。
私は、つい先頃まで佐藤副知事を立派な補佐官として最大の敬意を払ってきたのに、こういう決意をしなければならなくなったことを非常に遺憾に思っている。
昭和26年、副知事にお願いして以来、よい補佐官を得たことを誇りとし、また大きな期待をかけてきた。
しかるに最近の佐藤さんの行動は補佐官としての立場を逸脱して適正を欠くことがしばしばである。
このままでは県政のためにならない。
円満な県政の運営に重大な支障を来すことになるので熟慮した結果、こんどの措置をとったのである。
具体的な理由については個人的な問題となるのでふれたくないが、要するに官僚の独善主義であり、消極主義の持主であるという一語に尽きる。
昭和30年度の離党振興法による全額国庫補助の事業費3000万円を私に秘密で政府に返上している。このため五島、対馬の開発はまる1カ年遅れた。
これは消極主義の現れである。
また、ゴルフに反対ではない。しかし熱中することはどうかと思う。この結果、ゴルフハウスの問題が生まれた。これは官僚の独善である。
佐藤副知事は前の4年間の任期中は立派な補佐官であったが、最近は全く変わってきていた。
情においては誠に忍びない。しかし、各方面から強い要望もあり、諸般の事情を考えて、思い切って断を下した。止むを得ないことと思う。
私としても一つの試練になったが、これを機会に決意をさらに新たにして、官僚の独善主義を排し、積極的なやり方に徹して、県政の発展に努力する決意である。』(伝記・西岡竹次郎から引用)

佐藤勝也氏
(副知事を解任された佐藤勝也氏)

これに対する、解任された佐藤勝也副知事の反論は明日に続くが、西岡知事にとって、佐藤副知事解任は、まさに、中国の三国時代、蜀 の諸葛孔明が日ごろ重用していた臣下の馬謖が命に従わず魏に大敗したために、『泣いて馬謖を斬った』時の心境だったろうと推測する。
西岡竹次郎知事が逝去する7ヶ月前の事柄である。
西岡竹次郎66歳、佐藤勝也53歳、金子岩三51歳の梅雨の日の事件であった。

昭和33年2月5日の長崎県知事選挙が告示される8カ月前の出来事である。

JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次

[ 2025年1月23日 ]
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