アイコン 12月7日の石木ダム説明会は大石知事の茶番だった。

Posted:[ 2025年12月11日 ]

石木ダム

石木ダムの事業説明会に大石知事が登場した。
ようやく「トップが出てきた」と思えば、市民団体の問いにはまともに向き合わず、
終わってみれば“説明”と言うにはほど遠い、ただの見え透いた言い逃れ大会だった。
今回の質問は専門技術の抜き打ちテストなんかじゃない。
誰が聞いても理解できるよう、市民側が丁寧に噛み砕いて投げかけたシンプルな疑問だった。

 



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石木ダム

それに対する大石知事の答弁は、答えはズレる論点はかわすは、しまいには「今さらダムの必要性を論じる段階ではない」。とホザク有様だった。
はあ? じゃあ何のため説明会だったんだ、って話である。
水没予定地で暮らす13世帯の人生は、大石知事にとって“既定路線の邪魔者”なんですか。
大石知事は言う。

大石 インタビュー

「移転の理解を得る努力を続ける」
じゃあ逆に聞く。
理解を得るには、まず相手の疑問に答える必要があるんじゃないのか。
議論を拒否して「理解してくれ」は、そんなもん努力じゃなくて押しつけって言うんだよ。
しかもその口で、「ダムの必要性は今さら論じない」と封じてくる。
議論の入口を自分で閉じておいて、“理解”を求めるとは、なんという片務的政治だろう。
行政代執行まで一直線?それとも“寄り添いポーズ”のまま強行突入?

大石県知事

雰囲気はもう完全に「代執行に向けて地ならし中」である。
表向きは“対話の姿勢”を演じながら、しかし質問が刺さると、答えを避けて別の話にすり替える。
これのどこが寄り添いだ。
就任直後、地元住民のもとに姿を見せたあの日、あれは信頼の第一歩だと、多くの人が感じていた。
だが今となっては、あの光景こそ“政治的パフォーマンス”の見本だった。
住民の生活も、50年変わっていない計画の合理性も、すべて「検証不要」の箱に押し込んで、ただ“前に進む”ことだけが行政の仕事だとでも、この知事は思っているようだ。
50年前の計画を疑わない政治に、未来を語る資格はあるのか

金子原二郎

この半世紀で、佐世保市の人口は激減、水需要は下降、治水技術は進化、価値観も変わった。

それでもなお、「昔決めたから」「金子岩三さんが決めたから、金子原二郎さんも言っているから」「金子容三さんも熱心に言っているから」で押し通す行政。
合理性ゼロ、検証ゼロ、そして説明責任もゼロの脳死状態なのである。
そんな政治が「未来のため」と語るのは、もう欺瞞でしかない。
13世帯50人——“少数だから切り捨てる”行政の正体
大石知事は「寄り添う」と言う、だが実際に見えるのは、寄り添うふりをしながら、じわじわと追い詰めていく卑劣な構図である。
13世帯50人。
数字で見ると小さく見えるかもしれない。
しかし、その一人一人に人権と生活と居場所がある。
そこを守るのが政治の役割のはずだ。
その原点を忘れた行政は、ただの巨大機械でしかない。

JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次

 


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