
政治の世界には「表の話」と「裏の話」がある。
新聞に載るのはだいたい表の話だ。
そして有権者が本当に知りたいのは、だいたい裏の話である。
今回の「県議8人処分問題」も、新聞だけ読めばこういう話になる。
県連の方針に反した県議を処分した。しかし党本部が処分を事実上無効にした
県連は融和を図るべきだ。
実に美しい。実に平和的だ。実にどうでもいい。
問題の本質は、県議8人が悪いのかどうか、そんな話ではない。
本当の問題は、そもそも誰がこの戦いを始めたのかである。
したたか金子原二郎(宏池会)、動く 〜長崎知事選処分騒動の裏側〜

政治の世界には「表の話」と「裏の話」がある。
新聞に載るのはだいたい表の話だ。
そして有権者が本当に知りたいのは、だいたい裏の話である。
今回の「県議8人処分問題」も、新聞だけ読めばこういう話になる。
県連の方針に反した県議を処分した。しかし党本部が処分を事実上無効にした
県連は融和を図るべきだ。
実に美しい。実に平和的だ。実にどうでもいい。
問題の本質は、県議8人が悪いのかどうか、そんな話ではない。
本当の問題は、そもそも誰がこの戦いを始めたのかである。

すべての始まり
昨年10月、知事選の候補者選考が行われた。
投票結果はこうだ。
• 平田研 17票
• 大石賢吾 16票
わずか1票差だ。
しかし民主主義の世界では、1票差でも勝ちは勝ち、負けは負けである。
よって自民党長崎県連は正式に「平田研推薦」を機関決定した。
ここまではルール通り。何の問題もない。
そしてこの選考委員会の委員長が誰だったか。
大石賢吾氏を推していた金子容三氏(宏池会・岸田派)である。
つまり、こうだ。
• 選考委員長 → 金子容三(大石賢吾に投票)
• 決定 → 平田研推薦
• しかし結果は機関決定は守られず 保守分裂選挙に突入。
ここからすべての歯車が狂い始める。

大石氏が敗れた2日後、大石知事の後見人とも言われていた金子容三氏の父、金子原二郎氏が県連に離党届を提出する。
あまりにも分かりやすい。
政治小説でもここまで分かりやすい展開はなかなか書けない。
普通、政治の世界ではこういう行動はもう少し時間を置いて、「いや〜実は前から考えてましてね~」みたいな顔をしてやるものだ。
しかし今回は違った。
2日後。早い。非常に早い。
吉野家の牛丼屋でももう少し待つ。
県連は平田推薦を決めた。
しかし現実の選挙は、大石 vs 平田の「保守分裂選挙」になった。
つまり何が起きたかというと、県連の決定より強い力が動いたということである。
県連が決めた。
でもひっくり返った。
なぜひっくり返ったのか。
ここが今回の事件の核心であり、県議8人の処分など、実は枝葉の話なのである。
県連は言った。
「県連の決定に反したから処分」
そりゃそうだ。組織だから当然である。
会社で言えば、社長が決めた方針に反して別の商売始めたようなものだ。
しかし党本部は言った。
「その処分、無効ね」これが何を意味するか。
ものすごく乱暴に言うとこういうことだ。
県連が何を決めても、気に入らなければ従わなくていい、そして処分もされない。
これ、組織としては一番やってはいけない前例である。
会社で例えるとこうだ。
• 支店長「この商品を売れ」
• 社員「嫌です。別の商品売ります」
• 本社「うん、社員の自由だから処分なし」
これをやったら組織は崩壊する。
つまり今回の問題は、県議の処分問題ではなく、長崎自民党の主導権は誰が持っているのか問題なのである。
今回、県連内部からは「県連の融和を図るべきだ」という意見が出たという。
実に日本的で美しい言葉だ。融和。
しかし政治の世界で「融和」と言う時、だいたいこういう意味になる。
「今回は負けを認めましょう」
もっとはっきり言うと、
「逆らうともっと大変なことになるから、このへんでやめましょう」
賢い大人の世界である。
長崎知事選から今回の処分騒動までを、一言でまとめるとこうなる。
県連 vs 宏池会(岸田派)の戦いで、県連が負けたそして最後に残ったのが、
• 処分は無効
• 県連は融和
• でも誰も責任は取らない
• そして次の選挙も同じことが起きる
これが日本の政治である。
実に安定している。悪い意味で。
今回の処分問題で本当に見るべきなのは、処分された8人の県議ではない。
その8人の後ろに誰がいたのか。
誰が県連の決定をひっくり返したのか。
そして誰が最終的に処分を止めたのか。
政治というのは、表に名前が出ている人を見るより、名前があまり出てこない人を見る方が、だいたい本質に近づく。
今回の処分騒動は、長年、長崎県政を我が物顔で牛耳ってきた金子原二郎氏の力にも陰りが見えてきた始まりでもあった。
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次