
「もはや、あなたに信頼を寄せることはないんですよ」
沖縄県議会に響いたこの言葉は、単なる野党議員の批判ではない。
玉城デニー県政に対して積み重なってきた不信が、ついに「問責決議」という形で突き付けられたのである。
問題となったのは、沖縄県ワシントン事務所を巡る不適正な事務処理だ。
県は玉城知事の責任の取り方として、給与1か月分を45%、金額にして約55万4,000円減額する議案を提出した。
しかし県議会は、そんな“1か月限定の反省セール”では到底納得しなかった。
減給議案は委員会で否決され、さらに玉城知事の管理責任と議会への対応を厳しく問う問責決議へと発展したのである。
退職金は約3,000万円、責任は55万円?
知事を任期満了まで務めれば、巨額の退職手当を受け取る立場にある。
その一方で、県政を揺るがす問題への対応が、
「1か月だけ、約55万円の給与カット」
では、県民が納得するはずもない。
約3,000万円ともいわれる退職金を前に、55万円を差し出して、
「責任を取りました」
と言われても、それは責任というより、逃げ切るための通行料にしか見えない。
しかも、自ら辞職するわけでもない。
問題の全容を率先して解明するわけでもない。
県民に対して、腹の底から謝罪するわけでもない。
給与の一部を1か月だけ減らし、あとは時間が過ぎるのを待つ。
これで責任を果たしたというなら、沖縄県知事という職は、ずいぶん軽いものになったものである。
問われたのは55万円ではない
今回、県議会が問うたのは金額ではない。
玉城知事が、行政のトップとして県政を適正に管理してきたのか。
議会に対して誠実に説明してきたのか。
問題が発覚した後、責任者として真摯に向き合ったのか。
その姿勢そのものが問われたのである。
ところが玉城県政は、問題が起きるたびに、
「担当部署が行った」
「当時は把握していなかった」
「適切に対応している」
という答弁を繰り返してきた。
都合のよいときは「県民の代表」。
都合が悪くなれば「担当部署の問題」。
権限は知事にあり、責任だけが職員の机の上を転々とする。
そんな県政運営に対し、県議会がついに、
「もう信頼できない」
と突き付けたのである。
その日に現れた下地幹郎氏
そして、あまりにも絶妙なタイミングで登場した人物がいる。
元衆議院議員の下地幹郎氏である。
下地氏は2026年7月13日、9月に予定される沖縄県知事選挙への出馬を正式に表明した。
玉城知事に問責決議。
保守陣営にとっては、現職を追い詰め、県政交代への流れをつくる重大局面である。
そのまさに同じタイミングで、第三の候補として下地氏が割って入ってきた。
偶然にしては、出来すぎている。
火事場に消火器を持って現れたのかと思えば、よく見ると保守票を吸い込む大型掃除機だった――。
そう警戒する声が出ても、何ら不思議ではない。
過去2回、知事選に出馬
下地氏は、沖縄県知事選挙への挑戦が初めてではない。
2014年と2022年にも出馬し、いずれも落選している。
特に2022年の知事選では、玉城デニー氏、自公が推した佐喜真淳氏、下地氏の3人による選挙戦となった。
結果は、
玉城氏 33万9,767票
佐喜真氏 27万4,844票
下地氏 5万3,677票
だった。
玉城氏と佐喜真氏の差は約6万5,000票。
下地氏の得票は約5万4,000票である。
もちろん、下地氏に投票した全ての票が佐喜真氏に向かうとは限らない。
しかし、下地氏が保守系や中間層の票を取り込んだことで、反玉城票が分散したとの分析は当時から存在した。
玉城氏にとって、これほどありがたい候補者がいるだろうか。
自分を倒そうとする票を、横から吸い取ってくれる。
本人は「第三極」を名乗りながら、結果として革新県政の存続を助ける。
まさに、敵の敵として登場しながら、最後には玉城氏を利する“影の補完勢力”である。
下地氏は誰と戦っているのか
下地氏は、自民党でもオール沖縄でもない立場を強調するだろう。
既存の保革対立を超える。
沖縄独自の政治をつくる。
経済を立て直す。
耳触りのよい言葉はいくらでも並べられる。
だが、選挙は演説の美しさを競う大会ではない。
結果として誰を勝たせ、誰を負けさせるのか。
そこが問われる。
玉城県政を本気で終わらせたいのか。
それとも、自らの存在感を示すことが第一なのか。
保守候補の票を削り、結果として玉城氏を3選させるのであれば、どれほど玉城県政を批判しても説得力はない。
「私は玉城氏の味方ではない」
と言いながら、選挙結果では玉城氏を助ける。
それでは政治的な役割は、立派な補完勢力である。
問責決議の日に出馬表明する下地幹郎の政治センスがヤバすぎる。
玉城知事に対する問責決議は、県政交代を求める側にとって大きな追い風である。
本来なら、反玉城勢力が結集しなければならない局面だ。
ところが、下地氏はその日に出馬を表明した。
玉城知事への批判が頂点に達した日に、反玉城票を三つに割る可能性のある候補者が名乗りを上げたのである。
玉城陣営から見れば、これほど心強い援軍はない。
表向きは玉城知事を批判する。
しかし選挙では保守票を奪う。
下地氏本人がどのような意図を持っているかは分からない。
だが、政治は意図より結果で評価される。
結果として玉城氏を利するならば、県民から、
「玉城デニー知事の助っ人ではないか」
と疑われるのは当然である。
沖縄県民が見るべきもの
今回の知事選で問われるのは、単なる人気投票ではない。
ワシントン事務所問題を含め、玉城県政の8年間をどう評価するのか。
説明責任を果たさない知事を、さらに4年間続投させるのか。
約55万円の減給で責任を取ったことにする政治を許すのか。
そして、玉城県政を終わらせたいと言いながら、その票を分裂させる候補者をどう見るのか。
沖縄県民は、候補者の言葉だけでなく、その候補者が出馬することで誰が得をするのかを冷静に見なければならない。
「第三極」という便利な看板
第三極とは、本来、保守にも革新にも属さない新しい選択肢である。
しかし沖縄の知事選においては、その第三極が、結果として一方の陣営を助けることがある。
下地氏が再び5万票前後を獲得し、その多くが保守候補へ向かう可能性のあった票であれば、玉城氏は再び笑うことになる。
玉城知事に問責決議が可決されても、選挙で勝てば続投できる。
県議会から「信頼できない」と突き付けられても、票が割れれば知事の椅子は守られる。
その票割れを演出する役割を、また下地氏が担うのか。
これが今回の知事選最大の注目点の一つである。
玉城知事の危機に、また下地幹郎氏
玉城デニー知事は今、県政発足以来ともいえる厳しい局面に立たされている。
県議会から問責決議を突き付けられ、県民の信頼も揺らいでいる。
普通なら、政権交代の機運が高まる場面だ。
ところが、そこへ下地幹郎氏が現れた。
2014年にも出た。
2022年にも出た。
そして2026年も、玉城知事が最も苦しいタイミングで出てきた。
これを偶然と見るのか。
政治的使命感と見るのか。
それとも、玉城県政を陰で支える恒例行事と見るのか。
判断するのは沖縄県民である。
ただし、一つだけはっきりしている。
玉城知事に問責決議が可決された日に、最も安堵した人物が玉城知事ではなく、下地氏だったとは限らない。
むしろ下地氏の出馬表明を聞いて、最も胸をなで下ろした人物こそ、玉城デニー知事だったのではないか。
そう疑われるほど、今回の登場は絶妙すぎるのである。
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次