アイコン 中共 水面下の攻防② 習 近平(シー・チンピン、Xi Jinping) 彭麗媛

習近平は2010年10月18日、第17期5中全会で中国共産党中央軍事委員会副主席に選出された。このポストを手に入れたことで胡の後継になることが事実上確定した。
習近平は1953年6月1日生、1979年清華大学化学工程部卒。太子党(高級幹部の倅の俗称)のひとりで、父は習仲勲(元国務院副総理)。
現在、中華人民共和国副主席、第17期中国共産党中央政治局常務委員、中国共産党中央書記処第一書記、中国共産党中央党校校長、中国共産党中央軍事委員会副主席。党内序列第6位。
 
習近平に関する当記事は、前半はウィキペディアから引用している。但し、前回記載の「第17期5中全会水面下の攻防」も合わせて読んでもらいたい。次期課題は胡錦濤を中国共産党中央軍事委員会主席の座から追い落とすことができるかにかかっている。

父・習仲勲が批判された文化大革命において反動学生とされ、1969年から7年間、陝西省延川県に下放された。習近平は1974年に中国共産党に入党、下放された同地で生産大隊の党支部書記を務めている。1975年に国家重点大学の清華大学化学工程部に入学。1979年に卒業後、国務院弁公庁で副総理の耿飈(コウヒョウ、全人代副委員長)の秘書を務めた。
アモイ副市長、福州市党委員会書記を経て、2000年に福建省長となる。2002年11月、49歳で浙江省党委書記に就任。2006年に上海市で大規模な汚職事件が発覚し、当時の市党委書記陳良宇が罷免されると、翌2007年3月24日、書記代理を務めていた韓正(上海市長)に代わって上海市党委書記に就任することを党中央組織部長の賀国強が上海市党政幹部大会で発表した。これにより、第17期の政治局入りは確実とみられていたが、同年10月の第17期1中全会において、一気に政治局常務委員にまで昇格するという「二階級特進」を果たし、中央書記処第一書記にも任命された。2008年3月15日、第11期全国人民代表大会第1回会議で国家副主席に選出される。

胡錦濤直系である中国共産主義青年団(共青団)の李克強より党内序列が上であること、また、胡自身も党総書記就任までの2期10年を中央書記処書記として経験を積んだことを考えると、ポスト胡錦濤に一番近い存在。また、第17期政治局常務委員で唯一軍歴がある(中央軍事委員会弁公庁秘書)。2010年10月18日、第17期5中全会で中国共産党中央軍事委員会副主席に選出された。このポストを手に入れたことで胡の後継になることが事実上確定した。

その前年の2009年9月の第17期4中全会では党中央軍事委員会副主席に選出されなかった。その理由として、背後で胡直系の共青団出身の李克強(序列7位)を推そうとする勢力と、江沢民系の上海閥と呼ばれる勢力との間に生じた権力闘争が原因だとする見方があった。これによると、習は上海閥の流れを汲む人物であり、共青団系の勢力が躍進している現在においては党内基盤が弱くなっているといわれ、巻き返しをはかったとされる。
妻は中国の有名な軍隊歌手(国家一級演員)彭麗媛(中国人民解放軍総政治部所属・少将)で、彼女との間に長女習明沢(1992年生)がいる。

<政治姿勢>
リベラル派として知られる。官僚の腐敗に対しては厳しく臨み、政治的にも経済的にも開放的な姿勢をもった指導者として知られる。現在の中国共産党幹部の演説や文章を、「冗漫、空虚、偽り」で覆われているとし、文章や演説をもっと判り易くし、国民に理解できるよう改革する必要性を主張している。「一般大衆は歴史を作る原動力だ。腹を割って話さなければ、大衆は理解できない」と述べている。

<今後>
江沢民の上海派閥の支援を受けていることも確かであり、対日寄りの胡錦濤に比べ、江沢民は抗日派であり、その影響を受けるものと思われ、また軍事委員会副主席となったことから、軍事の面から尖閣に対して、非常に危険な人物になる恐れも残る。しかし、前回記載したとおり、温家宝や最高幹部たちの殆どが習近平を支持しており、江沢民一色では決してない。
胡錦濤は、上海万博のセレモニーに上海閥の総帥江沢民前国家主席を意識的に参加させておらず、江沢民にとっては恨み辛みが燻っていると思われる。習近平が、逆にこのまま江沢民を隠居状態に放置することができるならば、対日関係でも本来のリベラルな政治手腕を発揮してくる可能性もある。尖閣諸島は言うまでもなく日本固有の領土であり、2012年の政権交代後の10年を占うためにもここ2年軍事委員会副主席として注視していく必要がある。

習近平の妻 彭麗媛少将・・軍隊歌手 

新華社の習近平紹介原文

新华网快讯:党的十七届五中全会决定,增补习近平为中央军事委员会副主席。
相关:中共中央军事委员会副主席习近平简历
习近平,男,汉族,1953年6月生,陕西富平人,1969年1月参加工作,1974年1月加入中国共产党,清华大学人文社会学院马克思主义理论与思想政治教育专业毕业,在职研究生学历,法学博士学位。
现任中共中央政治局常委、中央书记处书记,中华人民共和国副主席,中共中央军事委员会副主席,中央党校校长。
1969-1975年陕西省延川县文安驿公社梁家河大队知青、党支部书记
1975-1979年清华大学化工系基本有机合成专业学习
1979-1982年国务院办公厅、中央军委办公厅秘书(现役)
1982-1983年河北省正定县委副书记
1983-1985年河北省正定县委书记,兼任县武装部第一政委、党委第一书记
1985-1988年福建省厦门市委常委、副市长
1988-1990年福建省宁德地委书记,兼任宁德军分区党委第一书记
1990-1993年福建省福州市委书记、市人大常委会主任,兼任福州军分区党委第一书记
1993-1995年福建省委常委,福州市委书记、市人大常委会主任,兼任福州军分区党委第一书记
1995-1996年福建省委副书记,福州市委书记、市人大常委会主任,兼任福州军分区党委第一书记 1996-1999年福建省委副书记,兼任省高炮预备役师第一政委
1999-2000年福建省委副书记、代省长,兼任南京军区国防动员委员会副主任、福建省国防动员委员会主任,省高炮预备役师第一政委
2000-2002年福建省委副书记、省长,兼任南京军区国防动员委员会副主任、福建省国防动员委员会主任,省高炮预备役师第一政委(1998-2002年清华大学人文社会学院马克思主义理论与思想政治教育专业在职研究生班学习,获法学博士学位)
2002-2002年浙江省委副书记、代省长,兼任南京军区国防动员委员会副主任、浙江省国防动员委员会主任
2002-2003年浙江省委书记、代省长,兼任省军区党委第一书记,南京军区国防动员委员会副主任、浙江省国防动员委员会主任
2003-2007年浙江省委书记、省人大常委会主任,兼任省军区党委第一书记
2007-2007年上海市委书记,兼任上海警备区党委第一书记
2007-2008年中央政治局常委、中央书记处书记,中央党校校长
2008-中央政治局常委、中央书记处书记,中华人民共和国副主席,中央党校校长

 

[ 2010年10月19日 ]
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