アイコン 宇佐八幡宮で世襲家権宮司を解雇 神社庁が免職処分 神社庁は偉いのだ!

宇佐八幡宮神亀2年(725年)に創建された宇佐八幡宮、全国に44000社ある八幡宮の総本社。祭神は八幡大神、比売大神、神宮皇后の参神を祭っている。
その宇佐神宮で、宮司職を代々務めてきた世襲家の神宮№2の権宮司も到津克子氏(45)を国の神宮庁が権宮司職を免職し、神宮側が解雇していたと大分合同新聞が報道している。
到津家は南北朝時代(1336年~1392年)から宮司職を務め、戦後は単独で世襲していた。

今や全国の神社の総本山である神社庁、今回の問題が発生する以前に、神社庁が指名した宮司(神社の最高位)を到津氏側が異論を発したため、国からの銭の采配のすべてを牛耳り、天皇陛下より偉くなってしまった神社庁が、いろいろこれまでに画策して追い出しにかかったのだろう。
祭神の神様たちは嘆いていよう。

コピペできないため興味ある方は新聞社の電子版を
http://www.oita-press.co.jp/1010000000/2014/05/27/232307

<問題の経緯>ウィキより
1、2006年(平成18年)には代々の宮司家に替わって、中津市薦神社宮司(始祖は宇佐春海権大宮司)が79代宇佐神宮宮司に就任した。これは異例のことであり、到津克子禰宜への橋渡しととらえるむきもあった。

2、ところが、79代宮司が2008年(平成20年)に急死したため、2009年(平成21年)に神社本庁は、大分県神社庁の庁長を80代宮司に指定し、選出させた。

3、これに反対して、宇佐神宮の責任役員会と氏子総代会は到津克子の80代宮司就任を決め、神社本庁からの離脱届を出す騒ぎになった。

4、2010年(平成22年)3月には到津克子が神社本庁を相手取り宮司職の地位保全を求めて大分地裁中津支部に提訴するも、請求棄却となり敗訴、2011年(平成23年)11月29日には福岡高裁でも控訴棄却で敗訴。最高裁にて2013年(平成25年)5月9日、宮司側の上告が退けられ、敗訴が確定し、一応の決着がついた。
なお、神社本庁の神道政治連盟、日本会議等の政治圧力活動に関しても反対が強いことなど、単なる跡目争いではない、との指摘がある。

5、2013年(平成25年)、宮司の地位が認められなかった世襲家の女性権宮司が、職場環境や業務内容に不満を抱き改善を要求し裁判を起こしたが、それに対し、神宮側は女性権宮司の勤務態度に問題があるとして給与を大幅カットした。対立から社務所で小競り合いがあり、女性権宮司が全治3週間のけがを負わされたとして男性権宮司を告訴した。その後、男性権宮司は不起訴処分となっている。

 

[ 2014年5月28日 ]
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