アイコン ノーベル物理学賞LED開発の赤崎・中村・天野の3教授へ 赤崎教授知覧出身 各経歴

7日、2014年のノーベル物理学賞を、名城大(名古屋市) の赤崎勇終身教授(85)と米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授(60)、名古屋大の天野浩教授(54)の3人に授与すると発表した。3氏 は、1970~80年代の段階では実現が難しいと考えられていた青色発光ダイオード(LED)の開発に成功し、その後の実用化に貢献した。
青色発光ダイオード(LED)は、赤崎教授と天野教授が開発し、中村教授が日亜化学時代に実用化に成功した。
長年かかった青色発光ダイオード(LED)の開発により、3原色が始めて構成され、現在、いろいろな電子製品に利用され、照明としても急成長した省エネのLED。

その省エネ効果は、世界からすれば計り知れないものであり、また急普及で低価格化し、低貧国へ明かりが灯るものとなったとして、その功績によりノーベル賞の受賞が決定した。
日本人のノーベル賞物理学賞受賞者は08年以来で計10人となる。

<赤崎勇名城大終身教授>
鹿児島県川辺郡知覧町(現・南九州市)出身。鹿児島市立大龍小学校、鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)から旧制第七高等学校(現・国立鹿児島大学)を経て京都大学理学部化学科卒業。
松下電器産業東京研究所基礎研究室長、名古屋大学教授、名城大学教授等を経て、現在は名城大学終身教授、名古屋大学特別教授。工学博士(名古屋大学)。文化勲章受章者、文化功労者。
窒化ガリウム (GaN) の結晶化に関する技術を開発し、世界初の高輝度青色発光ダイオード(青色LED)を実現させたことで有名である。青色LED関連の特許料を建設費の一部に用いて、名古屋大学東山キャンパス内に赤﨑記念研究館が建設され、2006年10月20日に開館

<中村修二カリフォルニア大サンタバーバラ校教授>
愛媛県西宇和郡瀬戸町(現在の伊方町)生まれの大洲市出身(小学校時代に転居)。徳島大学工学部を卒業後、同大学大学院工学研究科修士課程修了。修了時、京セラにも内定していたが、家族の養育の関係から、地元の日亜化学工業に就職。商品開発に携わった。
1979年 - 徳島大学大学院工学研究科修士課程修了、日亜化学工業入社。
1987年 - フロリダ大学電子工学部へ留学(1988年9月まで)。
1993年 - 高輝度青色発光ダイオードを開発。
1994年 - 徳島大学において博士(工学)の学位を取得。
1995年 - InGaN/GaN青色半導体レーザーの室温パルス発振を実現。
1999年12月 - 日亜化学工業を退社。
2000年 - カリフォルニア大学サンタバーバラ校・材料物性工学部教授に就任。
2005年-東京理科大学の大川和宏助教授の研究グループとの共同研究により窒化物半導体を用いた光触媒デバイス発表。光を使って水から水素を容易に取り出せることから、新たなエネルギー変換技術として期待されている。
日亜化学工業と特許権訴訟を起こし、「日本の司法は腐っている」と発言した。当時、特許権は研究開発した社員にあるとされていたが、東京高裁はこれを認めず、日亜と8億円で和解させた。

<天野浩名古屋大学大学院工学研究科教授>
1960年9月生は、日本の電子工学者。工学博士(名古屋大学)。専門は、半導体工学。名古屋大学大学院工学研究科教授。
赤崎勇教授と共に、世界初の青色発光ダイオード(青色LED)の開発に成功した。
1960年 静岡県浜松市出身
1979年 静岡県立浜松西高等学校卒業
1983年 名古屋大学工学部電子工学科卒業
1988年 名古屋大学大学院博士課程単位取得退学
1988年 名古屋大学助手
1989年 名古屋大学から工学博士の学位を取得
1992年 名城大学理工学部講師
1998年 名城大学助教授
2002年 名城大学教授
2010年 名古屋大学教授

[ 2014年10月 8日 ]
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