アイコン 明治建築の津屋崎千軒の「豊村酒造」保存活動、福津市や福岡県に協力のお願い

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福岡県福津市津屋崎の住民グループ「津屋崎千軒を未来につなぐ会」が、明治期に建てられた筑前國の酒「豊村酒造」の酒蔵の保存活動に取り組んでいる。

高い煙突のある白壁の景観は観光客にも人気だが、老朽化による修繕費の負担が大きい。20日、会のメンバー11人が小山達生市長を訪れ、6068人分の署名を提出して行政の支援を求めた。
豊村酒造は、千坪にも及ぶ敷地に母屋と酒蔵、煙突などが建っている。
同酒造によると、かつては九州一の日本酒の生産量を誇ったが、近年は出荷量の減少で使わない建物もある。
2005年の福岡沖地震では、高さ約21メートルの煙突にひびが入り、解体も視野に入れざるを得ない状況になっているという。
酒蔵は、地域イベントでのコンサートなどに無償で開放しているが、酒蔵以外の用途に有償で貸し出すなどの活用は現状では難しいという。

同酒造の窮状を聞いた地域住民たちは、昨年、保全策を探る会を結成。署名集めや勉強会を続けている。
同会によると、福津市が煙突を文化財指定するなどして補修費用を補助することは可能で、署名を提出した住民たちは「豊村酒造の建物は津屋崎のシンボル。地域の課題として取り組むが、行政の支援も不可欠」と訴えた。
小山市長は「賛同者の志を生かせるよう、県や地域住民と協議しながら、前向きに進めたい」と答えた。
以上、西日本新聞参考

豊村酒造の創業は、明治7年(1874年)。福岡県新宮町にあった造り酒屋「豊賀屋」の当主・豊村喜右衛門の次男・喜三郎が流通の利便性を考え、当時、海上交通の拠点として栄えていた津屋崎に、敷地面積約3300平方メートルの酒蔵を開いたのが始まり。
大正末期には津屋崎・福間両町にまたがる第二工場も設けたが、太平洋戦争などの影響で昭和16年(1941年)、第2工場を閉鎖した。
地元の宮地獄神社(嵐でCMにもなった参道の先の海に夕日が落ちる大きな神社)との関係も深く、毎年、お神酒を奉納している。昔は、九州一のお酒の生産工場であったが、今では地元だけで販売されている。

津屋崎一帯は、玄海灘の入り江に面し、干潟もあり、観光名所。また、山も近く、地下水も豊富なところで、おいしいお酒ができる。
過去、地域一発展していた津屋崎町、千軒は昔の面影だが、地元のおばさんたちが、藍の家保存会(柴田富美子会長)を結成、藍染めの「藍の家」を核に地元振興に頑張っている。「藍の家」は豊村酒造にもすぐのところにある。千軒の古い町並みに和菓子屋さんや土人形屋さん、食堂などいろいろある。また、津屋崎漁港・津屋崎海水浴場として知られ、波止釣りも盛んで、移住者も増え、豊村酒造で各種音楽会などいろいろなイベントが開催されている。

小山市長も、票に関係する福間町の隅から隅までの道路を掘り繰り返したり、舗装しまくっているが、過疎化となっている津屋崎町のこうした文化遺産事業にも尽力と金を出して欲しいものだ。

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[ 2017年1月24日 ]

 

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