アイコン 仏教大弾圧の韓国 対馬から盗んだ仏像を屁理屈で奪取

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日本は「盗んだ仏像返せ」と国際司法裁判所に提訴すべきだ。
日本政府は、対馬から韓国へ盗人集団が盗み出した仏像を、口だけではなく、広く国際社会へ、「韓国は返還すべきだ」と呼びかけるためにも、早期に国際司法裁判所へ「返還の提訴」すべきだ。それは政権者の国民に対する義務だろう。

長崎県指定有形文化財「観世音菩薩坐像」仏像は、2012年10月、韓国の窃盗団が対馬の観音寺から盗んだもの。その後、韓国民を洗脳する韓国マスコミの反日キャンペーンに利用され、韓国政府は「観世音菩薩坐像」を拉致したままにしている。

<反日の韓国らしい判決内容>
韓国・大田地裁は2017年1月26日、大韓仏教曹渓宗の浮石寺が、韓国政府を相手取り起こした仏像引き渡し請求訴訟で「韓国政府は浮石寺に仏像を引き渡すように」と命じる判決を下した。
判決では「仏像を移送する際は、仏像内部に記録を刻み、その内容を明らかにするが、その記録は見つからなかった」とした上で「高麗時代に瑞州(現在の瑞山)へ倭寇が侵入したとの記録と仏像の毀損状態から判断すると、贈与・売買などの正常な方法ではなく、盗難や略奪によって対馬に運搬されたものとみられる」と説明して判決を正当化させた。

<仏教大弾圧の歴史 韓国では36寺院しか残らせなかった>
<浮石寺は消滅させられた寺>

李氏朝鮮(1392年~1910年)は、統制・支配を強めるため、3代目の太宗は、高麗時代の仏教を廃絶し、儒教を国教と定めた。
太宗は、仏教を大弾圧、朝鮮全土に1万寺もあった寺は、88寺院にまで減らした。この過程で、1万寺あまりは、破壊、焼き討ち、略奪され尽くされた。当然、仏像など、金になるものは盗み出された。

さらに、4代目の世宗は3代目が88寺とした残存できる仏教の寺を36寺まで減らした。
儒教導入下、大弾圧した仏教の廃寺となった寺に、仏像など残ること自体ありえない話だ。

仏教を大弾圧した3代目の太宗は、倭寇を懲らしめるため、1.7万人の兵を対馬へ出兵し、殺戮・家や船を焼き尽くすなどしたが、西日本一帯から兵が派遣され、朝鮮の主力部隊が負け、退散した。

<仏教大弾圧の李氏朝鮮>
李氏朝鮮3代目の太宗(在任期間:1400年11月~1418年9月)
太宗7年の大弾圧の際、存続できた寺は88寺院
曹渓宗24寺:
梁州通度寺・松生雙巖寺・昌寧蓮花寺・砥平菩提岬寺・義城氷山寺・永州鼎覺寺・彦陽石南寺・義興麟角寺・長興迦智寺・樂安澄光寺・谷城桐裏寺・減陰靈覺寺・軍威法住寺・基川淨林寺・靈巖道岬寺・永春德泉寺・南陽弘法寺・仁同嘉林寺・山陰地谷寺・沃州智勒寺・耽津萬德寺・靑陽長谷寺・稷山天興寺・安城石南寺、以上曹渓宗。
ほかは、天台宗17寺、華嚴宗11寺、慈恩宗17寺、中神宗8寺、摠南宗8寺、始興宗3寺。

李氏朝鮮4代目の世宗(在任期間:1469年12月~1495年1月)
世宗6年にさらに仏教弾圧、存続できた寺は36寺院
禅宗の18寺院
興天寺(禅宗の本山)・崇孝寺・演福寺・観音堀(開城)・僧伽寺(京畿楊州)・開慶寺・檜巖寺・津寬寺・大慈菴(高陽)・鷄龍寺(忠淸道公州)・斷俗寺(慶尙道晋州)・祗林寺(慶州)・華厳寺(全羅道求禮)・興龍寺(泰仁)・楡岾寺(江原道高城)・覺林寺(原州)・亭谷寺(黄海道殷栗)・釋王寺(咸吉道安邊)

禅宗以外の教宗の18寺院
興德寺(教宗の本山)・廣明寺・神巖寺・甘露寺(開城)・衍慶寺(京畿海豐)・靈通寺(松林)・藏義寺(楊州)・逍遙寺・俗離寺(忠淸道報恩)・寶蓮寺(忠州)・見巖寺(慶尚道巨濟)・海印寺(陜川)・瑞峯寺(全羅道昌平)・景福寺(全州)・表訓寺(江原道淮陽)・月精寺(黄海道文化縣)・神光寺(海州)・永明寺(平安道平壤)

<倭寇の実態>元寇の復讐から始まった
九州の北部の島々が、破壊尽くされた蒙古襲来(元寇、朝鮮・高麗軍も含む)、文永の役は1274年、弘安の役は1281年。朝鮮を攻撃し、略奪など行った倭寇は、松浦党などで組織された勢力による元寇の復讐とされる。

朝鮮を倭寇が荒らしまわったのは、朝鮮では高麗時代からであるが、朝鮮では最下層の賤民階級が創設され、李氏朝鮮時代になると儒教導入も加わり、中央集権化が進められ、過酷となり、倭寇と賤民がグルになって、荒らしまわったともいわれている。

<交易の日本人居留地も韓国にはあった>
前期倭寇は、李氏朝鮮3代目ころに、李氏と日本の諸侯が直接交易を行うことで利権が一致し、日本側が倭寇の取り締まりを強化したことにより、倭寇は表舞台から消えた。

15世紀、朝鮮半島南部の釜山浦・薺浦・塩浦は三浦と呼ばれ日本人居留地が存在し、対馬領主の宗氏を始めとする西日本諸勢力は三浦を拠点に朝鮮に通交をしていた。

<歴史の現実を見よ、韓国裁判所>
和寇に略奪されたとして所有権を訴えた大韓仏教曹渓宗の浮石寺は、当時、あったとしても、太宗の時代に焼き討ち、略奪、破壊された廃寺に一寺に過ぎない。
当然、儒教を国の権力支配に利用した李氏朝鮮の支配構造をサポートした両班たちが主体となり、全国の寺を破壊し尽くした。

推定だが、当時の浮石寺(当時存在が前提)も、焼き討ち、破壊、略奪され、その過程で金になる仏像が盗み出され、和寇やその後の朝鮮に進出していた三浦(15世紀、日本人が暮らす居留地)の日本人などに売却されたと見るのが自然なのではなかろうか。

なお、日本統治下、当時仏教国の日本の現地政府が、廃寺の浮石寺を修復した経緯がある。

浮石寺は、現存する韓国最古の寺とされ、高麗時代一度焼失し1376年に無量壽殿などが再建されたものの、李氏王朝の命により廃寺となった。
高麗王が造らせた大きな寺で焼き討ちなどでも一部残ったのだろうが、仏像など金目のものは当然略奪され尽くされたものと見るのが普通だろう。

<国内法より優先される国際間の条約>
<ユネスコの文化財の不法な輸出・輸入・・・禁止条約>

「文化財の不法な輸出、輸入及び所有権譲渡の禁止及び防止に関する条約」
1970年11月14日第16回ユネスコ総会採択
1972年4月24日効力発生
第12条
締約国は、自国が国際関係について責任を負う領域内に所在する文化的遺産を尊重するもの
とし、並びに同領域における文化財の不法な輸入、輸出及び所有権譲渡を禁止し及び防止する
ため適当な措置をとる。
第13条
締約国は、また、自国の法律に従うことを条件として、次のことを約束する。
(a) 文化財の不法な輸入又は輸出を誘発するおそれのある所有権譲渡をすべての適当な手段によって防止すること。
(b) 不法に輸出された文化財がその正当な所有者にすみやかに返還されるよう自国の権限のある機関が協力することを確保すること。
(c) 亡失し又は盗取された文化財の正当な所有者又はその代理人が提起する当該文化財の回復の訴えを受理すること。
以上、

韓国の国論と政治家、裁判官たちは、仏教大弾圧の歴史を直視せず、長期にわたり廃寺させられていた寺の持ち物だと主張する愚かさ、韓国マスコミ+挺対協+北朝鮮派が結託して反日醸成のために、盗んだ仏像さえ返さず、利用する罰当たりな・・・。

<仏像返せ> いつか罰があたる


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[ 2017年1月27日 ]
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