アイコン 騙された!「談話」が「公式見解」に化けていた!

yohkanさん、いつもいつも愛情あふるる画報ありがとうございます。今日のもまた最高でしたので拡散させて頂きます。

愛国画報 from LA
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ロサンゼルスより愛国心を込めて。大日本帝国万歳。


第32代アメリカ大統領フランクリン.D.ルーズベルトは、メディアを上手く使った。ラジオの全盛期、自らの施政方針を大衆に直接語りかける形で電波の乗 せたのは、画期的な試みだった。居間でくつろぎ、気楽にお喋りする雰囲気を出すため、このラジオ番組を「炉辺談話」と呼んだ。英語でfireside chatsと云う。

以来、政界で「談話」chatsと云えば、誰もが「炉辺談話」を思い出す。堅苦しい演説でもなければ、声明でも公式発表でもない。政策に関する考え方や政府首脳個人の心情を率直に語り、大衆に聞かせる。それが談話だ。
 
だから、1993年、突如、河野官房長官が慰安婦に関して反省と謝罪を口にした際、日本に無実の罪を着せるのかと怒る戦争世代もいた反面、「河野談話」ゆえ、たかが河野個人が感想を語っているんじゃ仕方がないと、あきらめる人も多かった。
 
「村山談話」も同様だ。戦後50年の節目に、日本の侵略でアジアに迷惑をかけたと謝罪したが、これまた社会主義者ゆえ、あの程度は挨拶代わりなのだろうと世間はヘンに納得した。政府の公式謝罪なら激怒する筈の保守派も、まあ、個人の意見なら仕方がない、と引き下がった。
 
ところがどっこい、河野談話も村山談話も個人の気軽なお喋り、即ち「チャット」と受け止めていたのは日本人だけだった。談話は、対外発表の時点で日本政府 のstatement、即ち声明や公式見解に変貌して、世界を駆け巡っていた。外務省のウェブサイトに掲載された河野や村山のstatementは堂々た る公式文書で、チャットと呼ぶ軽めなニュアンスなど全くない。


早い話、こんなの単なるお喋りですよ、と云う朝鮮シンパの甘言に、われわれ国民は騙されのだ。既に河野・村山談話から約20年が経ち、どれだけ違和感があ ろうと、強制連行が事実無根であろうと、理由もなく、政府の対外的「公式見解」をひっくり返すのは難しくなってきた。下手すれば、罪人の言い逃れか、悪あ がきに見えてしまう。
 
先ずは、慰安婦の嘘をでっち上げた朝日新聞や旧社会党の代議士連中を国会で吊るし上げ、これらの談話を生んだ左翼勢力の謀略を徹底的に暴くべきだ。河野や村山の売国行為を責め、両人から名誉を剥奪しよう。談話の修正は時間がかかる作業だ。そうチャッ、チャットはいかない。
 
河野談話
[ 2013年6月 1日 ]
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