「3・11フクシマの惨劇」 避難指示解除されたが<戻らない若い世代>の現実
時がすべてを解決するという。しかし、原発事故だけは目に見えぬ放射能の恐怖に冒され続ける。それが例え低線量であったとしても。すでに国は里山の除染はしないことを決定したがセシウム137の半減期は30年、半減するだけでも後25年かかる。
2011年3月11日の東日本大震災で東京電力福島第1原子力発電所が見舞われた未曾有の大爆発事故。
流出する放射能からの長期の避難を余儀なくされた住民たちは、事故から5年経った今、かつて夢見た自宅への帰還を「終わりの始まり」と感じている。
福島第1原発の地元市町村の一つで、放射能禍に直撃された双葉郡楢葉町。
原発から半径20キロ圏内の警戒区域の端に位置する同町は、全住民が避難した自治体で初めて避難指示が解除された。
政府にとって、同町住民の帰還は各避難地域の本格復興に向けたモデルケースとなるはずだった。だが、そのシナリオは大きく崩れている。実際に帰宅した住民は町人口の6%、わずか459人。そのうち70%近くが60歳を超える人たちだ。
「この地域は結局、消滅するんだから。間違いない。人間がいないんだから」。避難指示が解除された昨年9月、楢葉町に戻った早川篤雄住職(76)は、ポケットに携えたガイガーカウンターをみながら、こうつぶやいた。
<戻らない若い世代>
原発事故で避難を強いられた周辺地域の住民は16万人以上にのぼる。今も福島県内の仮設住宅で暮らしているのは約10%程度で、多くは故郷以外の土地に定住し、新しい生活を始めている。
楢葉町の帰還者の中に若者はほとんどおらず、町の人口や経済が回復する望みはまずないと、帰還した住民は言う。
町で唯一の「商店街」と言えるのは、食堂2軒とスーパー、郵便局の入ったプレハブ小屋がある一区画だけ。その食堂も午後3時には閉まる。
かつて町民のいこいの場所としてにぎわった天神岬スポーツ公園。北太平洋を望む景観は5年前のままだが、園内を走り回っていた子供たちの姿はみられない。公園のデッキから、何百個にも及ぶ放射性廃棄物の黒い袋を見つめる数人の年配者たち。
楢葉町は3月11日、津波の犠牲者や避難先で亡くなった人々を悼む献花台をここに設置する。
以上、ロイター参照
いまだ、放射線量の被曝で大人と子供の区別がなされていない、国と世界の機関のでたらめさ。妊婦・赤ちゃん・幼児・子供・少年・・・細胞分裂が活発な幼少期に与える影響は、大人になって現れる、現れない。チェルノイブリでは大人になって自殺者が多くなっているデータ・・・・。因果関係はすべて否定されるが・・・。
フクシマで放出された核種の半減期
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核 種
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半減期
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核 種
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半減期
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セシウム137
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30.0年
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ストロンチウム90
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28.8年
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ウラン238
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45億年
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ラジウム226
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1600年
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プルトニウム239
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2.4万年
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コバルト60
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5.27年
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クリプトン90
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32.3秒
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ポロニウム210
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138.4日
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キセノン138
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14.1分
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水素3
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12.3年
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フッ素18
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109.8分
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ヨウ素131
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8.04日
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