アイコン 回顧録「日刊セイケイ斯ク戦ヘリ」プロローグその⑤

林幹事長には2000万円渡すことで話はついてる。

お金のサムネイル画像宮島組合長は「林幹事長からは既に内諾を得ている。県連の松谷会長とも東京でお会いし、地元(自民党長崎県連)が纏まるんであれば私は宮島さんで一向に構わない。と確約も取ってきた。」と春光会長に興奮ぎみに状況を説明した。

 そんな宮島組合長に対して春光会長は「しかし、そいじゃあ県連が納得できんじゃろう。まして朝長さんとか北村さんは納得せんじゃろう。しかも林幹事長は 去年の大典さんの選挙では幹事長として長崎市内の土建業者ば動員して相当強引に選挙ば戦ったって聞いとる。今更、大典さんば4区に回すって言えんじゃろ う。そんなことしたら林さんの幹事長としての立場がなくなりゃあせんね。面子が立たんじゃろう。」 と自らを諭すようにゆっくりとした語り口ながら納得しかねるという春光会長の強い意思を私は感じていた。

すると、宮島組合長は私の方をチラっと見て「実は林さんには2000万円渡すことで話がついている。松谷さんには東京で既に500万円渡してきた。それと 政調会長の谷川さんにも長崎の結婚式で同席した時にだいたいの承諾は得てきた。」と、驚くべき事実を明らかにしたのだ。

この時はじめて、春光会長がわざわざ私を長崎から呼び、こんな重要な会談に同席させた意味を悟ったのである。 春光会長は宮島組合長の毒饅頭を警戒し、それを喰いたくなかったのでわざと私を同席させたのである。つくづく中村春光という男の凄さを思い知ったものだった。
 
 と、同時に私は自民党の国会議員の公認がこうした形で決まることに驚くというよりも、政治の世界の怖さを感じたものである。その時の私の心境は長崎県の政治の世界の裏面史をチラっとでも覗けたという感激と満足感で興奮してたのを今でも憶えてる。
私は、そんなことは微塵も顔にはださず緊張した顔で春光会長の隣に座っていた。今、目の前で起こっているとんでもない会談の結末が気になるのと同時に、まだその頃は面識すらなかった朝長県議と北村県議が気の毒に思えたことだけは鮮明に憶えている。

ここまで話が進むと後は知事選の話題へと話が移った。春光会長が「ところで金子さんはほんとに知事選に出るとね」と言うと、宮島組合長は「出る気は間違い なかごとあるが、本人は西岡さんの動きばとても気にしてるようだ。相手が西岡さんなら選挙戦も厳しくなろう。西岡さんが出るってなれば、出らんかもって言う人もおるとよ。高田知事が東京で西岡さんに会うて知事選出馬の打診ばしてきたけど、西岡さんは今は新進党が大事な時期なので、幹事長として今の私は動けない、と、高田知事の知事選出馬要請を断ったごとある。」と、宮島組合長は、子息、大典氏のためにもここは何が何でも金子氏に出馬して貰わんと大事(おお ごと)だという悲壮感がバリバリ感じられた。

春光会長が「しかし金子さんに知事が務まっとかね。」 というと宮島会長は「大丈夫、知事は誰がなってん県庁職員がしっかりしちょるけん、金子さんでも務まっとよ。」と言って笑った。それには春光会長も私も苦笑いするしかなかった。私はこうして長崎県知事が決まっていくことに長崎県民として一抹の不安と、苛立ちを感じたのをハッキリと記憶している。

[ 2016年4月12日 ]
 

 

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