アイコン やっぱり山田博司は暴力団幹部とズブズブの関係だった。

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県議会議員、山田博司が私達を名誉棄損で訴えてきた裁判で、原告の訴状に、私が書いた「山田博司は暴力団の代理人だった」という記事が山田の名誉を棄損した不法行為の始期だと断定している。

山田博司議員 vs 山田よう子秘書

https://www.youtube.com/watch?v=d1JrLQzMeVA

正確にいえば、私が山田のことを書きだしたのは2月20日頃からである。

いわゆるクラブ・サイレンス事件である。

ここでは詳細は省くが、その後、県庁駐車場での山田の道路運行車両法が発覚したのである。

あれで、山田が素直に車を移動し、キチンと謝罪していれば、その後の山田博司研究は違ったものになっていたかもしれない。

ところが、山田は謝罪するどころか、県議会の総務委員会で、県議という立場を悪用し、警察を使って私に圧力をかけてきたのである。

はっきりいって、とんでもない横着者である。

その次の日から「山田博司、売られた喧嘩、たしかに買ったよ」が始まったんである。

山田はその後も、議会運営委員会で圧力を掛けようとして、ミスったり、●暴を使って、私にアメとムチを仕掛けてきたのも事実である。

平成18年、故浜村福雄氏から県議に出馬するから、ヨロシクといって山田博司を紹介され、平成18年の選挙では山田を応援してやったという人物から、きょう、ラインに故浜村福雄氏の名刺が送られてきていた。

男性は山田博司が当選してからも、故浜村福雄氏と山田の三人で長崎市内浜口町の料理屋で当選祝いの食事をしたことも証言している。

山田博司の代理人弁護士は準備書面で山田は故浜村福雄氏の属性は不知(知らない)と主張していた。

私は山田や山田の代理人弁護士よりも、きょう、ラインでシャメを送ってくれた人物の証言を信用する。

「日刊セイケイ・長崎浪人・中山小六(洋二)」

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[ 2016年11月29日 ]

 

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