黒江哲郎事務次官がすべて取り仕切り稲田大臣も利用された 前提にご意向の存在
陸自の日報隠し問題は、当時、政権は南スーダンへミョウチクリンな駆けつけ警護なる法律を作り、青森の陸上自衛隊諸君を派遣することで決定していた。
しかし、昨年7月、南スーダンでは、政府軍とクーデター後の反政府軍とが、派遣されている自衛隊の近くで「激しい戦闘」が繰り広げられた。
その派遣部隊からの日報が毎日、陸上自衛隊本部に送られてきているが、その内容に「戦闘」という字があり、防衛省最高位の黒江哲郎事務次官(東大卒の生粋の自衛隊事務官)が、政権が派遣することを決定している意向を汲み、隠蔽することに決定した。
当然、安倍氏も稲田氏も駆けつけ警護の法制化に向けリードしてきた立場、その意向により、日誌は、黒江氏により廃棄したと隠蔽された。
派遣ありき・・・当時、稲田氏は、国会で、戦闘状態ではなく、単なる武力衝突だと断じ、PKO部隊を派遣する条項にある「戦闘地域へは派遣しない」という条項に抵触しないと答弁し、派遣決定が維持された。
昨年11月15日、銃で駆けつけ警護できる青森部隊が南スーダンへ派遣された。
しかし、陸自含むいくつかの部門でまだ日誌が存在し、「戦闘」の文字が記載されていることがリークされた。政権内にも伝わっていた。
それでも「日誌」はないと発言し続けた稲田氏。
今年3月10日、安倍首相は唐突もなく、南スーダンへの派遣部隊を5月までに完全撤退させると表明し、5月までに撤退させ、派遣部隊は帰国した。
(安倍首相に、日誌に「戦闘」の文字があることが内通され、首相は撤退を決定したと見るのが自然だろう。現地は昨年7月以降も南スーダン各地で、政府軍と反政府軍、別の解放戦線、部族や民族間などにより全土で戦闘状態が続いていた。そうした中、駆けつけ警護部隊は派遣されていた)
当然、首相と稲田大臣の意向を汲んだのが黒江哲郎事務次官であったが、隠蔽したはずの日誌の存在そのものが表面化し、黒江哲郎事務次官も窮地に追い込まれ、連鎖して稲田大臣もおかしな答弁に終始した。
こうした内容は、政権内からも出ており、その権謀術に稲田氏は翻弄されたとも言える。
稲田大臣は、森友学園問題で虚偽発言しており、嘘吐きが前提になってしまっていた。
首相は、撤退させたものの、南スーダンへ駆けつけ警護部隊を派遣した大きな実績を作ったことに大きな意義があった。
以上のことにより、
最初から日誌の隠蔽は、首相と稲田大臣の意向を汲んだ黒江哲郎事務次官が取り仕切ったものといえる。
黒江氏は稲田大臣に重きを置かず、首相のみ見ていたものと見られる。
特別防衛監察が、当該の日誌などの重要書類は10年間保管せよと指摘するほど重要であるものが、事務次官により、すでに廃棄したと虚偽報告する理由がそこにあった。
陸幕僚長も稲田朋美防衛相も辞任した。そして、黒江哲郎事務次官も退任・辞任した。
結果、防衛省はご意向第一主義で、シビリアンコントロールなどまったく機能しないものになっていた。
政権は自らの姑息な動きを制し、堂々と自衛隊諸君が安全にPKO活動できるようにするのは、国会と政権の義務だろう。
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