
中立性を失った先にあるもの ― 長崎県議会への問い
議長の中立性が揺らいだとき、失われるのは一人の評価ではない。
失われるのは、「議会は公平である」という前提そのものだ。
今回の一連の出来事は、特定の人物の資質だけを問う問題ではない。
議会という制度が、何を守り、何を軽んじたのかを映し出している。
外間議長が公的行事を無断で欠席し、大石候補の応援に立った。
そしてその大石候補は落選した。
【最終回】外間雅広議長とは何者か?中立性という"見えない職務"

中立性を失った先にあるもの ― 長崎県議会への問い
議長の中立性が揺らいだとき、失われるのは一人の評価ではない。
失われるのは、「議会は公平である」という前提そのものだ。
今回の一連の出来事は、特定の人物の資質だけを問う問題ではない。
議会という制度が、何を守り、何を軽んじたのかを映し出している。
外間議長が公的行事を無断で欠席し、大石候補の応援に立った。
そしてその大石候補は落選した。
事実は、これだけだ。
だが、この事実に対して議会としての総括はあったのか。
説明はなされたのか。
県民に向けた言葉は、あったのか。
見当たらない。
もしこのまま、「個人の判断」「選挙の一場面」として、この事実が曖昧に処理されるなら、同じことは、必ず繰り返される。

次の議長も、その次の選挙でも。
議会の中立性は、一度壊れると、制度では簡単に修復できない。
修復できるのは、自らの行動を振り返り、言葉で説明し、責任を引き受ける覚悟だけだ。
問われているのは、外間議長一人の問題ではない。
長崎県議会は、「中立である」という原則を本気で守る気があるのか。
議長とは、誰のために存在するのか。
政党のためか。
候補者のためか。
それとも――県民のためか。
この問いに答えない限り、議会の信頼は、静かに、確実に、すり減り、崩壊していく。
(了)
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次