アイコン 谷川弥一に対する街宣活動と襲撃事件の真相!

谷川弥一投稿者:当事者

弥一の毒矢⇒

平成11年5月14日深夜、谷川弥一(当時、自民党県連幹事長)が、自宅玄関で何者かに襲撃され、鉄パイプで頭部を割られる事件が発生した。
 

当時、谷川県議周辺では、公共工事をめぐる問題で長崎市内の右翼団体(4団体)が市内
及び、自宅周辺で谷川に対する街宣活動を展開していた。長崎県警は当初右翼団体による犯行と見て、右翼団体周辺の捜査を行っていた。が犯行は地元暴力団石湊会系組員の犯行であることが判明する。
谷川弥一が襲撃される少し前に、谷川を街宣していた右翼団体の車両が何者かによって放火されるという事件が起きている。その後、谷川側が街宣活動に対する、街頭宣伝差し止め仮処分申請を行い長崎地裁が仮処分決定をした。車両放火の犯人は未だ捕まっていないが、最近になって身内説が囁かれている。右翼を怒らせて谷川襲撃を企てた卑劣者がいるらしい?
以上の経緯で警察は、右翼犯行説とみたのである。


最近になって「長崎の悪夢・二発の銃弾」なる本が出版され、そのなかで谷川襲撃事件のことが書かれているが、前県議の林田某氏が石●会前会長に襲撃を依頼した・・・… 云々カンヌン と記されている。
これは事実ではない。林田が依頼したのは谷川に対する街宣である。いくら林田がワルでも襲撃は依頼していない。林田も本に実名で、谷川襲撃の依頼主は林田と書かれても訴えられないところである。襲撃を依頼していなくても街宣を依頼したことで結果的に谷川襲撃につながっている。(依頼金も渡しているし〃)
谷川襲撃の実行犯は、裁判でその動機を供述しているが事実は闇の中?
さて、谷川(側近)は、街宣差し止めの仮処分申し立ての前に、ある人物(裏社会)に依頼して、右翼団体の街宣中止を頼み、直接右翼団体代表と接触して街宣の中止を申し入れたが断られている。そこで、谷川は塩飽弁護士を代理人に立て仮処分の申請を行ったのである。右翼団体は、街宣禁止の仮処分が出されたことで、争いの場を法廷に持ち込むべく、起訴命令申立書を長崎地裁に提出、谷川側は仮処分の取り下げ若しくはユ週間以内に右翼団体を訴えるしかない。仮処分を取り下げる訳にはいかず右翼団体三団体の代表等を訴えたのである。


谷川が襲撃されたのが平成11年5月14日その約1か月後の6月15日に第1回目の裁判が行われ、マスコミ各社もこの裁判を注目していた。裁判終了後に右翼団体側がマスコミを集めて記者会見している。これは当時テレビニュースでも流れている。右翼側は今後は法廷で谷川の不正行為を明らかにしていくと言っていた。ところが三回目の裁判で突然谷川側サイドから裁判の取り下げがなされたのである。この裁判では、あくまで谷川が原告であり、右翼団体側が被告である。しかし、この裁判は被告の同意がなければ裁判の取り下げはできない。しかし裁判は途中で終わっている。当然、右翼団体側も谷川側の取り下げに同意している事になる。ここで谷川側と右翼団体側にどのような裏話があったのか。裁判終了後マスコミの取材には、右翼団体側はノーコメントと言っている。
ここに来て最近、裁判取り下げの裏話が明らかになってきた。
右翼団体に裁判の続行を断念させたのは誰なのか。どんな条件を谷川が出していたのか。
当事者が語るのだからこれすべて真実。
次回乞うご期待!

 編集部・・・・谷川建設の運び屋だった南さんは選挙でがんばってるようですね。特殊知能暴力集団とかいう用語があるそうですが、暴力団に毎月金を運ぶ人のことは特殊運び屋暴力集団でいいんでしょうか。
次回を楽しみにしてます。それまで南さん!がんばっててください。
 

twitter
[ 2009年8月 5日 ]
この記事の関連記事
スポンサードリンク
スポンサードリンク