アイコン 福岡流通大戦争①/福岡商店街の歴史/第1幕、1975年

福岡はその昔3つ百貨店があった。天神の岩田屋(1936年開業)・中洲の玉屋(1925年開業)・呉服町交差点の大丸(1953年開業)であったが、それぞれ地の利を活かした百貨店であった。
岩田屋は西鉄の天神駅に陣取り、当時福岡最大の商店街であった下・上川端商店街を控え中洲の福岡玉屋があり、国鉄博多駅近くに大丸があった。

異変が起きたのは博多駅が、1963年(昭和38年)12月(昭和38年)現在地へ(500メートルほど南)へ移転して、呉服町の大丸が営業不振に陥った。新博多駅には1966年、小倉の井筒屋が入居している。
福岡の大流通戦争の始まりは、1971年6月ショッパーズダイエーが、北天神にオープンしたことにある。
それに加え元々百貨店であったが、大戦の戦局悪化で閉鎖されていた北天神の松屋百貨店も1973年4月ショッパーズダイエー(当時国内最大のダイエー店舗)の建物と一体化させ大改装オープン、マツヤレディス(現、ミーナ天神)+ショッパーズダイエーの巨大商業施設が完成した。そのため福岡の商業の勢力図は一変、天神一極集中が始まった。呉服町の大丸は、極端に不振に陥り、1975年西日本新聞社が現在のビルを建築するに当たり天神南へ引っ越した。 

天神地下街に隣接する天神コアは、元々因幡商店街のアーケード街(因幡うどん店やハトヤもあった)、1971年火が付き商店街は消失した。1976年に天神地下街のオープンとともに同地に天神コアビルが完成。福岡のファッションリーダービルとして今でも天神コアは君臨している。

1976年の天神地下街の完成で、福岡の商業地は完全に天神に一極集中。それも北天神及び北天神から南へ走る地下街・その周辺に集中した。人の流れが完全に変わり、西鉄天神駅西側にある新天町さえ不振に陥り、西鉄グランドホテル横にあったスーパー「ユニード」(大名店)も閉鎖を余儀なくされた。
それほど1975・76年は、福岡の流通業界にとって激動の時代であった。
旧来の商業地であった下川端商店街・上川端商店街が、閑古鳥が鳴き壊滅状態に、福岡で一番古かった福岡玉屋も外商で長らえたものの1999年7月閉店した。


<天神地区図>
 


大きな地図で見る

 

[ 2010年1月25日 ]
モバイル
モバイル向けURL http://n-seikei.jp/mobile/
この記事を見た人は以下も見ています(福岡流通大戦争、)
スポンサードリンク
スポンサードリンク