アイコン 福岡流通大戦争②/福岡商店街の歴史、第2幕、1990年代①

<岩田屋の失敗>
1975・6年の天神流通大戦争で大丸が天神に進出、迎え撃ったのが天神の老舗百貨店岩田屋であった。岩田屋は本館西側に新館を増設した。しかし、道路を挟んでいたため狭く思うような売上高は上げられなかった。岩田屋はその後の1981年6月福岡市西新町に百貨店進出、これも殆ど失敗に終わった。西鉄天神駅が南に移動する再開発が持ち上がったが、その時岩田屋はその構想に乗らず、1996年9月に別途400億円を投じ、Zサイド(現在の岩田屋本館)を完成させた。ところが、1997年10月南に移動した福岡終点駅の西鉄駅に三越が開業、大丸も同年大丸本館東側にエルガーラをオープンさせた。そのため岩田屋のZサイドは売上高が伸びず、またもや失敗した。

<若者の流れ>
天神での買い物客は、百貨店かダイエー+マツレディス及び地下街商店街・新天町しかなかった。そのため天神コアは、商業施設ビル中では若者のメッカとなった。また1989年3月、天神中南に若者が集客できる大型商業施設ビルが2つ誕生する。三菱地所のイムズと西鉄のソラリアである。イムズは大きな吹き抜けが垢抜けた建物であり、ソラリアは映画館やホテルもある複合商業施設。天神コア・イムズ・ソラリアが、今でも若者の中核施設として君臨している。

<キャナルシティ博多>
一方、96年になると福岡都心部中央に新たなる大商業施設が完成する。キャナルシティ博多である。上川端商店街の南外れのカネカボウ工場敷地跡(約1万1,000坪)に96年4月キャナルシティ博多を福岡地所(福岡シティ銀行(現西日本シティ銀行系)系のデベロッパー)が開発した。97年の来客数は1,350万人に達し、福岡に九州一円から観光及びショッピングに訪れる客が耐えない状況を作り出した。

[ 2010年1月26日 ]
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