アイコン 福岡流通大戦争③/福岡商店街の歴史、第3幕、1990年代②

福岡の流通戦争に負けた昔からの商店街であった下川端商店街の再開発事業が、第3セクターが柱になり1996年1月博多リバレインとして着工、99年3月スーパーブランドシティとして誕生した。

当初メインテナントとして福岡玉屋が入居予定であったが、バブルが崩壊しているにもかかわらず、総投資額978億円という巨大開発プロジェクトであり、第3セクターゆえに高家賃を設定、福岡玉屋の田中丸社長はあまりの高家賃に驚き、入居計画を断念した経緯もあった(当該第3セクターは当然(実質)破綻した)。
キャナルシティは物珍しさもあり大成功を納め、隣接する上川端商店街も復活した。

その少し前の1993年、ダイエーの故中内オーナーの記念碑となるホークスタウンの福岡ドームが完成、その後も95年に巨大高層ホテル「シーホーク」完成。2000年には商業施設のホークスタウンモールも完成した。しかし残念ながらダイエーは、当ホークスタウンへの巨額投資がアダとなり実質破綻した。

岩田屋に戻るが、1980~90年代の、特に96年開業のZサイドの巨額投資に行き詰まり、西新・日田・久留米・熊本・新館を岩田屋再建のため次々閉鎖、本店も老朽化し、西鉄天神駅から外れてしまったため、新たに天神のNHK跡地に岩田屋を建設する話が地元共同資本で持ち上がり、その新本館(現、新館)が2004年3月完成してオープンした。
しかし、1754年からの創業家の中牟田一族は、完成を待たず、02年5月経営責任を取り辞任、伊勢丹により再建されることが決定、現在三越伊勢丹Gの完全子会社に至っている。
なお、旧本館は都築学園(オーナー理事長がセクハラ事件で逮捕。全国に大学や専門学校を持つ巨大学園コンツェルン)に1999年8月売却され、2003年2月旧岩田屋本館が閉鎖された後は、天神角の幽霊建物として曝け出していた。その幽霊建物も2010年3月やっと福岡初となる「パルコ」がオープンする。
 

[ 2010年1月27日 ]
モバイル
モバイル向けURL http://n-seikei.jp/mobile/
この記事を見た人は以下も見ています(福岡流通大戦争、)
スポンサードリンク
スポンサードリンク