アイコン 福岡流通大戦争④/福岡商店街の歴史/第4幕、現在

岩田屋は伊勢丹傘下となったものの、現在でも年商1000億円の福岡の中核百貨店である。
それに大丸があり、三越がある。しかしこの3つの百貨店も百貨店不況の影響を受けており、苦戦している。一番影響を受けているのは、建物構造が悪い三越であろう。

また1975年に人の流れを変えたマツヤレディス+ショッパーズダイエーも、大丸の移転、西鉄天神駅の南への移設、三越の開業、大丸エルガーラのオープンなどの影響から人の流れが南へ移動、苦戦を強いられてきた。
現在はマツヤレディス(大牟田新栄町、松屋百貨店閉鎖)の建物が、大東建託に売却され、ユニクロが全館を借り切り「ミーナ天神」として生まれ変わり、少しは改善している。

 今回の不動産ミニバブルで、一番不動産価格が上がったのは、天神西通りであった。人の流れが、高尚化した天神から西の大名に動いた結果である。西鉄天神駅から西通りに至る間のきらめき通りに岩田屋の本館・新館があり、岩田屋も潤った。しかし、その人の流れもあまりに高くなった家賃に若者店主が入居できなくなり、また福岡進出計画があった「丸井」も高価格に悩むうちに顧客層が類似するパルコが旧岩田屋本館に入居することが決定したことから西通り出店計画を断念した。
若者が若者を呼ぶ福岡の商業の構図は、その後、未開発であった天神南の今泉地区に移動、人の流れも変わりつつあったが、不動産ミニバブルが崩壊、リーマンショックもあり、不況により天神の大商業施設群も客が分散、苦戦しているのが実情である。
 福岡進出のロフトは2007年11月ジークス天神ビル(南天神地区、現天神ロフトビル)でオープン、その後も盛況を博している。
 

[ 2010年1月28日 ]
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