アイコン 日本振興銀行 破綻の衝撃③ SFCGと渡り合うとは・・・

日銀OB、小泉―竹中時代には金融庁顧問、日本振興銀行では2003年4月の設立時から中枢にあり、代表を務めてきた木村剛。彼が銀行法違反となる検査忌避により7月14日逮捕されてから2ヶ月弱、その日本振興銀行も9月10日あっけなく破綻した。負債額は約6,194億円(2010年3月末)であった。また、6月末の債務超過額は1,870億円にのぼる。

そうした金融の邪道の日栄門下生たちが、イッコー(現、Jトラスト)、日新商事(現、NISグループ)、アプレック(現、中小企業信用機構)、商工ファンド(SFCG)などのほか、全国の金融業者が商工ローンに手を染めて行った。上記の金融業者は何れも上場を果たし、都市銀行はじめ多くの金融機関が、バブル崩壊後一般企業への融資は貸し渋り、一方でこうした邪道な商工ローンを進める市中金融業者への融資を拡大させ、上場した市中金融業者はその資金規模を瞬く間に大きく変化させていった。
ところが、1999年11月日栄と商工ファンドが腎臓売れ事件を引き起こし、国会喚問(参考人招致)された段階で、それまで膨大な資金を日栄と商工ファンド等に供給してきた都市銀行、信託銀行、生保、地方銀行が、一斉に資金を引き揚げにかかった。これまでにもサラ金問題も含め国会で大問題になるたびに、銀行はいつも引き揚げに取り掛かり、大蔵省・金融庁の手綱が緩むとまた貸し出しを増加させてきたのが、銀行と市中金融業者間の歴史でもある。大きな岐路となったが上場認可であることも見逃せない。邪道な貸付を行う金融業者に対して上場という信用を与えてしまったことも、こうした問題を大きくしたといえる。

国会喚問後、一斉に融資していた都市銀行が引き揚げにかかり、資金パイプを切り替えられず自滅していったのが日栄であり、外資への切り替えに成功したのが商工ファンドであった。さすが、慶大卒、三井物産ニューヨーク支店勤務の実績を持つ大島健伸であったが、06年1月のグレーゾーン問題に終止符を打った最高裁判決により、これまで利息制限法に定める金利以上に取っていた金利分に対して、不当利得返還請求が押し寄せ、その打撃も大きく生じていた。しかし、SFCG大島健伸は強かであり、不動産・企業買収・乗っ取りに展開していった。 
ところが、同社に融資していた肝心の外資に07年7月サブプライムローン問題が直撃、外資はSFCGに対し貸し剥がしを実行。その結果、SFCGは資金に窮し、見境のない商工ローン貸付先への強制貸し剥がしに走り社会問題化、その後に続くリーマンショック、その後も続く外資の剥がしに抗しきれず、09年2月破綻していった。
そうした過程で何を血迷ったのか日本振興銀行の木村は、大島に傾注していったのであった。実際は万が一のための完璧な担保取得、高裏金利の約定の元に進められたようだが、昨年春から夏にかけての金融庁検査では、こうした利息制限法に引っかかる高裏金利を隠蔽するため、調査忌避に走り、本年7月の木村逮捕事件に至ったのであった。

同じ穴の狢といってしまえばそれまでだが、腎臓売れ事件を引き起こしたSFCG、方や日銀OB、新銀行として竹中金融大臣下で金融庁の顧問であった木村が率いる新銀行の日本振興銀行の実態であった。
つづく
[ 2010年9月15日 ]
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