アイコン 長崎県らが開設したHP「おらしょ こころ旅」世界文化遺産の長崎・天草の教会群 

浦上天主堂も黒崎教会もない不完全と思われるHP公開
五島へは行ったことはないが、長崎や平戸は何回ともなく訪れている。平戸では教会のほか道路沿いにある墓に十字架、ふと立ち止ったりする。自然の中に教会などが溶け込んだ原風景が平戸にはあった。

長 崎県らが進めるキリスト教文化の歴史文化遺産登録では登録数が限られているようだが、文化遺産は、長崎へのキリスト教伝来以来、その後の大弾圧にもめげ ず、隠れキリシタンにより脈々と受け継がれてきたことにある。その存在も明治から大正・昭和にかけ、明らかになった。  
そうしたことから、その間のキリスト教文化や遺跡総体を遺産登録すべきではないだろうかと思う。

今回資産指定建造物は、主に信教の自由が確立する明治時代から大正時代のものであるが、キリシタンの人々は大弾圧の迫害により、逃れ、隠れキリシタンとなり、仏教徒になりながらキリスト信仰を続け、また、島々でも人里離れ、島の住民さえもまったく近寄れないような小さな入江などに移住し自給自足の生活を行いながら脈々と独自に信仰を続けてきた。そのため、隠れキリシタン全体が明らかになるのは昭和30年代に到る。それほど外部と完全に遮断された辺鄙な僻地で脈々と信仰が受け継がれてきたのであった。
そうした宗教文化こそが遺産であり、今では長崎や天草など広域に受け継がれている。長崎県などが「おらしょ」のHPで文化遺産地を紹介しているが、単に遺産登録だけを目的にしたものであると言わざるを得ず、そうした文化を世界の人々に理解してもらう上でも片手落ちと見る。
極一部の遺産候補の教会や遺跡だけを紹介したらば、それしかないように外部の人は見てしまう。また、選んだ基準も有識者と思される人たちにより行政が行ったものに過ぎない。

グラバー邸入り口の大浦天主堂が資産指定され、原爆で消失し再建された浦上天主堂が指定されないのはなぜだろうか。遠藤周作の「沈黙」の舞台の一つとなった黒崎教会が指定されていないのはなぜだろうか。

遺産指定だけを望んだ方法より、全体の教会群や関係する遺跡群を紹介する中で、資産指定した教会も紹介すべきではなかろうか。
今回の指定地は、隠れキリシタンゆかりの教会や遺跡だけを捉えているわけでもなく、また、隠れキリシタン信者が現在のキリスト教に融合していく過程も説明されているとは思われない。

筆者は、長崎・天草のキリスト教文化全体が、文化遺産と呼ぶべきもの、現在のHP「おらしょ」の掲載方法が歪であるように思われて仕方ない。
おらしょ=Oratio(ラテン語)=祈り

「おらしょ」HP
 

[ 2014年6月10日 ]
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