アイコン 抗日勝利70周年イベント 台北市が中止

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台北市の柯文哲市長は「抗日の何を祝おうというのか」と一蹴し、日本が降伏した記念の地とされる「中山堂」で予定されていた記念イベントを中止した。台湾では今、抗戦勝利記念の「不要論」が広がっている。
 
台湾で抗戦勝利70周年の記念行事は「不要」とする声が高まっている。1945年の連合軍による大空襲の被害者であるとの立場から、抗日勝利を祝う必要はないというもの。7日付で環球網(中国共産党の機関紙人民日報の国際版)が伝えている。

これに対し、6日付の台湾紙・聯合報(国民党から実質分裂した親民党(中国寄り)と近い)は、「連合軍による空襲は、台湾人民ではなく植民侵略者である日本の在台湾機関を標的としたもの」とし、「日本が植民支配者であり、戦争の発動者であることを忘れたのか。台湾が日本の植民統治から脱け出せたのも、抗日戦争に勝利したからだ」と反論した記事を掲載した。

<台湾の戦後の歴史>
台湾は日本の植民地になっていたが、何故台湾が日本びいきが多いかというと、戦後、中国の共産党軍に追われた中国国民党軍が、国共内戦に入り、共産軍に破れ、台湾へ逃げ込んで来た。しかし、一部の軍人たちがその時、元からいる台湾人たちに対して、悪さの限りを尽くしたことにあるとされる。
国民党軍が台湾へ乗り込んできた時は、日本軍のようにまったく統率された状態ではなかったとされる。
国民党の創設者は孫文、その後、蒋介石らは日中戦を戦い、戦後は毛沢東の共産軍と国共内戦、しかし、蒋介石らの国民党軍は負け台湾へ遁走、その後、李登輝・連戦・馬英九たちと受け継がれてきたが、連戦の時から日本の政治家との親交もなくなっている。

反面、連戦の時から中国と仲良しとなり、連戦以外は中国で中国国家主席と会談したものは馬英九も含めていない。ただ、馬は中国との距離を連戦から引き継いでいる。
そのため、抗日勝利を馬は行うが、落ち目の国民党であり、日本を刺激しないようにしたのか、軍基地内で開催するとされている。

ところが、台湾市長の柯文哲氏は、元々台湾人の家系、祖父は、台湾人と国民党とともに乗り込んできた中国人との間で勃発した2.28事件(1947年)で、国民党軍に投獄されている。昨年11月の台北市の市長選では、対抗馬の国民党元総統の連戦の息子、連勝との事実上の一騎打ちだったが、この際、柯文哲氏の祖父が日本統治下で青山文哲と名乗っていたことを連戦らから批判・追及された。しかし、選挙では勝利した。
そうしたことからも柯文哲氏は、国民党大嫌い市長である。馬英九総統は、国民党の元総統李登輝氏からも中国に寄り過ぎるとして今では批判されている。
馬英九総統は昨年行われた地方選挙での大敗の責任をとり、国民党の主席を昨年12月辞任、朱立倫新北市長が主席となった。しかし、朱氏は次期総統選には出馬しない意向を表明、次期総裁選に向け国民党の中がゴチャゴチャ、結果、おばんで立法院副院長(国会副議長)の洪秀柱氏(67、男勝りの女性で中国との統一指向者)を擁立することで決定している。

 柯文哲台北市長
柯文哲台北市長

 

[ 2015年7月13日 ]
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