アイコン エムケイグループ青木定雄会長逝去

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タクシー業界で続いていた「同一地域同一運賃」に対し値下げを申請、法廷闘争を通じて官民一体の規制を崩したことなどで知られるエムケイグループ創業者の青木定雄(兪奉植)さんが8日、誤嚥性肺炎のため死去した。88歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主はエムケイ社長で長男信明さん。自宅は京都市左京区北白川小倉町50の146。

後日、お別れの会を開く。 1928年韓国・南海島生まれで、43年渡日。立命館大法学部を中退後、ガソリンスタンド経営を経て60年、ミナミタクシーを設立した。桂タクシーを買収し、77年に両社を合併、社名をエムケイに。運転手があいさつしない時は運賃をもらわない制度、身体障害者優先制度など初めての試みを次々導入した。

82年には前代未聞の運賃値下げを近畿運輸局に申請。却下されると処分取り消しの訴訟に踏み切り、85年に大阪地裁で勝訴(大阪高裁で和解)。規制緩和の流れを加速させたとされる。2001年には在日韓国人系の近畿産業信用組合の会長に就任したが、「世襲人事を行おうとした」として13年に解職された。1991年11月~92年10月、京都乗用自動車協会(現京都府タクシー協会)会長。
以上、

以前、MKタクシーによく乗る機会があったが、田舎モンと見れば平気で遠回りするほかのタクシー会社とは別格だった。自動ドアもなかった。降りて手でドアを開けてくれた。京都は外人さんも多いことから、運転手さんたちが交代交代で奈良の施設に籠もり英語の勉強をしていると運転手さんから聞いたが、こうした努力も日本では先んじていた。

タクシー業界の革命児。同社は、規制強化でクンズホグレズの関係の陸運局(国交省)とタクシー協会に何回戦いを挑んだことだろうか。相変わらず陸運局とタクシー協会の関係は変わらないものの、いまやその精神は多くのタクシー業者に受け継がれている。

韓国のどうのこうの関係ない話だ。

日本でのことだ。

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[ 2017年6月12日 ]

 

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