アイコン APAの言論を守ることと歴史修正主義は無関係だ

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明日(1月31日)の東京の宿はAPAホテル赤坂見付に予約しました。

やってもいない南京虐殺事件をでっち上げられ、いわれない屈辱を甘受してきた日本、慰安婦問題がいまでは少女像という新たな捏造を突き付けられ攻撃を受け続けている日本、そんな日本人の心情を代弁したのが、APAホテル元谷氏である。

本の中身の詳細はどうあれ、日本人が中国人や韓国人にいわれなき理不尽に耐えてきたのは事実である。

何があってもAPAホテル元谷氏には日本人として最後まで戦って頂きたい。謝罪なんて絶対にしないで頂きたい。そんな思いで明日もAPAホテルに泊って、じっくりと元谷氏の本を読んでみたい。
きょうも、(農と島のありんくりん) を紹介します。

農と島のありんくりん
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/

移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する

APAの言論を守ることと歴史修正主義は無関係だ
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ふゆみさんに教えられて、アゴラの神谷匠蔵氏論考を読んでみました。

http://agora-web.jp/archives/2024135.html

神谷氏は、こう述べています。

「西欧が眉を顰めるような歴史修正主義は控えるべきだ。やるなら誰も文句を言えない決定的証拠を全て揃えてからでなければならない。

反対者を全て「売国奴」ないし「反日」扱いして黙らせるという方法は日本国内でしか通用しないし、それでは国際社会の日本に対する圧力を強めこそすれ弱めることはない。

それが公人によるものであれ私人によるものであれ、よほどの証拠でもない限り第三者目線から見て「歴史修正主義」と認定されるような発言で外国を刺激するのは100%日本の過失行為にしかならないことを再認識すべきである。

もし証拠があるというのなら、その証拠の方を強調しきちんと世界に対して申し開きすべきであり、第三者に認定された動かぬ証拠を出さぬまま「歴史観」を先走らせるのはあまりに危険な賭けである。

少なくとも、西欧世界ではそれは「言論の自由」を超えた立派な「犯罪」と認定されかねない行為であることを、日本側は一応理解しておくべきであろう。」

これについて池田信夫氏はこうコメントしています。

「西欧では歴史修正主義に『言論の自由』は認められていない」という重大な事実誤認が含まれていたので、その部分を削除しました。結果的に意味不明な記事になっていますが、それはこの記事の論旨が誤っているためです。」

私も池田氏とひさしぶりに同じ感想を持ちました。 アゴラの主が自分の所に来た論説をこのように切り捨てるのは大変に珍しい。

神谷氏は何をいいたいのか分からない、チンプンカンプンな文章を書いてしまっているのです。

論旨がグニャグニャと曲がりくねっている文章なので、自分でもなにを言いたいのか分からないまま書いたのではないでしょうか。

神谷氏は古谷経衡氏が、元谷氏・APA本を「コミンテルン陰謀史観であると批判しながら、言論の自由として擁護している」事についてとりあげて、「陰謀論もあるかもしれない」とし
たその後にこんな文章が続きます。

「公人によるものであれ私人によるものであれ、よほどの証拠でもない限り第三者目線から見て「歴史修正主義」と認定されるような発言で外国を刺激するのは100%日本の過失行為にしかならないことを再認識すべきである。」(前掲)

公人と私人の区別もつかない粗雑さは別にして、結局のところ神谷氏はどうやら南京事件について決定的証拠が上げられないなら、国際社会を「刺激する」ようなことは言うな、という事のようです。

ならば初めから「若手論客」をたしなめたりせずに、「南京事件について否定でも肯定でも、ともかく国際社会が怒っちゃうから、議論すること自体ダメだよ」と言えば良いのにね。

南京事件論争は、実は日本では膠着したまま事実上終了してしまった論争ジャンルです。

南京事件論争史 - Wikipedia

正直言って、私はこの南京事件に関して、神谷氏がいうところの新たに論争を終了させるに足る決定的史料が出てくるとは思いにくいし、仮にそれを提出したところで中国が納得するわけもないのです。

というか、いかなる史料・証言を出そうと、かの国はこれを外交カードとしている以上、決して手放すことはないはずです。

韓国が愛してやまない慰安婦問題と一緒です。

ですから、今回の事件において、私が言っていることは土曜の記事のこの部分に尽きます。

関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-dbe8.html

「この事件の本質は、元谷氏の著作内容にあるのではなく、外国の公権力が国境を超えて我が国の思想を検閲しようとしていることにあります。」

私は古谷氏のように、元谷氏の本を「コミンテルン陰謀史観」だからと批判しようとは思いません。

古谷氏の論旨はおおよそ納得できるのですが、コミンテルン陰謀史観批判は余計です。

仮にこれがSEALDsの奥田クンの本でも、外国の公権力の不当な言論干渉には抗議すべきなのです。

現時点で私的思想内容を前面に押し立ててしまえば、元谷氏・APAに対する中国の国境を超
えた言論統制に加担してしまうことになりかねません。

私は現時点においてまずは、元谷氏・APAを中国の不当な干渉から守るべきだと思います。

外国の不当な干渉にさらされけいるAPAを防衛しないでおいて、神谷氏のように「歴史修正主義といわれちゃうからダメ」などとしたり顔で言うのは、怯懦以外何者でもありません。

この防衛するための論理こそが、神谷氏が恐れている欧米国際社会とわが国が共有する普遍的価値である、<自由>概念なのです。

権力が個人の私的領域に属する思想、歴史観に介入したら、断固としてその自由を守らねばなりません。

しかも自国権力ならいざしらず、外国公権力の言論統制など言語道断です。

ですから、元谷氏の歴史観を擁護する必要も否定する必要もないし、そもそもそこが問題点ではないのです。

保守系までもがひいきの引き倒しで、元谷氏の史観まで肯定して、それを前面に押し立ててしまうことのほうがかえって危険です。

ここで最悪の対応は、もちろん中国と同一目線に立って、「チューゴク様がこんなにお怒りなのだから謝ってしまえ」ということです。

中国の代わりに「国際社会」なるものを代置したのが神谷氏の言う、「国際社会様を刺激するから、こんな元谷の言論の自由など認めるな」というものです。

そもそも歴史修正主義とはホロコーストに対して生れた比較的新しい概念であって、本来わが国とはなんの関わりもありません。

関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-aaee.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-f5df.html
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そこで彼らはこう自分の国民に説明します。

「日本人は残虐だったから原爆を落されても仕方がなかった。彼らは神の罰を受けねばならなかったのだ。

戦前まで日本人は残虐で、大量虐殺、強姦を繰り返した卑劣で劣等な民族だった。民主主義などはなく,日本国民は牢獄にいたのだ。

だから、文明国はこの野蛮国を懲罰して、民主主義国家にしてあげた。そしてそれを誰より喜んだ日本人は、改心して米国の良き友人になったのだよ。」

目的が手段を正当化できると人間は思い込むことで、人間はいくらででも自らの残虐行為を合理化できるのです。

このような心理トリックを使って、米国は精神的トラウマから逃れて戦後国際秩序の覇権国家になったわけです。

ここにおいて、「戦勝国」中国、あるいはいまだに自分を「戦勝国」と錯覚している韓国の反日と米国の歴史観は一致したわけです。

ですから米中韓は、日本人が南京事件や慰安婦の真相を探ろうとすると、その行為自体を「歴史修正主義」とレッテル貼りするわけです。

ただし、わが国は広島訪問と真珠湾訪問によって、正式に米国と「和解」しました。

真珠湾「和解」はヨーロッパの「ドレスデン和解」という考え方を踏襲しており、戦争の是非を問う不毛から共に戦没者を慰霊することによって戦争を「終結」させることでした。

レスデン和解については、長くなりますので別稿としますが、これが国際社会の新たな戦争和解のスタンダードです。

ですから、真珠湾和解の後になっても、中国が陳腐な「南京大虐殺」を蒸し返す事に対しては冷たく突き放せばよいだけです。

というわけで、今回の政府の「民間企業の個別の対応につ いて政府として立ち入 るべきではない」(萩生田光一官房副長官)という対応はまったく正解なのです。

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したがって、今の時点で歴史修正主義うんぬんに論点を持っていかれることこそが危険です。

まして古市憲寿氏のように、日本に対する中国人観光客が減ることが「国益に反する」などと言うに至っては、アホかこいつと言ってやりましょう。

なにが「国益」だって言うの。

いつもは国益なんそ知ったことかといわんばかりの言説を吐きながら、こういう時だけ持ち出
すのはいかがなものでしょうかね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170128-00010000-houdouk-cn

それはさておき、さてこの「歴史修正主義」が、本来ホロコースト、すなわちユダヤ民族絶滅に対して使われた概念にもかかわらず、なぜ無関係なわが国に向かってきたのでしょうか。

主に日本を「歴史修正主義」と言うのは米国と、皮肉なことには自民族のみは過去の悪行から浄化されたのだと妙な自信を持っているドイツの二国です。

ドイツの心理は旧同盟国・日本を道義的に叩くことによって、自分の潔癖性を国際社会に印象づけたいという屈折したものです。

関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-d286.html

米国の場合は、彼らが仕出かした東京大空襲、そして広島・長崎のいずれもがハーグ陸戦条約
を公然と破った戦争犯罪そのものだということにあります。

関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-f4cc.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-8305.html

エノラゲイの乗員のひとりは、核攻撃直後瞬時に破壊しつくされた市街地を見て、こう叫んだそうです。

「おお、なんてことを俺たちはやらかしちまったんだ」

以後米国人は、日本が「唯一の被爆国」と言う度に、彼らの心の奥に「俺たちはなんてことをしちまったんだ」という鋭い針が刺さる事になります。

これが米国の原罪です。

彼らはこれから逃れるために意識的な情報操作を行いました。

それが、本土空襲や原爆投下も、「核を落すことで戦争が終わった。さもなくば100万人の米国の若者と、それ以上の日本人が死んでいたはずだ」という論理です。

この論理に従うと、私たち日本人もこう言わねばなりません。

「戦争を終わらせて軍国主義から解放してくれた上に、平和憲法までプレゼントしてくれたアメリカのおじさん、ありがとう」

9条を宗教にまで祭り上げた「8月革命説」は、この論理に忠実に従っています。
この考え方こそ日本の戦後民主主義の原点のようなもので、いまでもNHK朝ドラを見ると、ひんぱんに登場します。

しかし考えてみて下さい。当時日本にこれ以上戦い続ける継戦能力は残っていましたか?

いいえ、当時の日本は日本侵攻を準備していたソ連にまで和平交渉の依頼をするほど、逼迫した状況下にあり、戦争終結を望んでいたのです。

そんなことを百も承知、二百も合点で、広島・長崎に原爆を投下したのが、米国でした。

既に米国は戦争目的を達成しており、戦争終結には不必要な大虐殺でした。

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[ 2017年1月31日 ]

 

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