
沖縄県知事選は、告示直前になって大きく動いた。
立候補を表明し、「保守でも革新でもない第三極」を掲げていた下地幹郎元郵政民営化担当相が、突然の不出馬を表明したのである。
その理由として明らかにされたのが、自民党本部との政策協定だ。
報道によれば、下地氏は次期衆院選で自民党の「九州比例1位」とする合意を結び、沖縄県知事選への出馬を見送ったという。
これでは県民から、「沖縄県知事の座を目指していたのか、それとも国政復帰の切符を探していたのか」と問われても仕方がない。
沖縄県知事選、下地幹郎氏が突然の撤退――自民党と「九州比例1位」で合意、その椅子は県民より重かったのか

沖縄県知事選は、告示直前になって大きく動いた。
立候補を表明し、「保守でも革新でもない第三極」を掲げていた下地幹郎元郵政民営化担当相が、突然の不出馬を表明したのである。
その理由として明らかにされたのが、自民党本部との政策協定だ。
報道によれば、下地氏は次期衆院選で自民党の「九州比例1位」とする合意を結び、沖縄県知事選への出馬を見送ったという。
これでは県民から、「沖縄県知事の座を目指していたのか、それとも国政復帰の切符を探していたのか」と問われても仕方がない。

「沖縄を変える」と訴えた覚悟は、どこへ消えた
下地氏は7月13日の出馬会見で、「沖縄の危機を乗り越えるには、私がもう一度立ち上がらなければならない」
「知事選に勝って沖縄を変える」
と意気込んでいた。
さらに、玉城デニー県政と自民党系候補の双方を批判し、「第三極」として県民の選択肢になることを強調していた。
ところが、告示のわずか2日前になって、その「覚悟」は撤回された。
しかも、不出馬と引き換えのように飛び出したのが、「次期衆院選・九州比例1位」という極めて具体的なポストである。
もちろん、下地氏は「沖縄が変わると信じている」「次の衆院選で新しい政治の役割を果たす」と説明している。
しかし、県民にとって本当に知りたいのは、きれいな説明ではない。
なぜ、知事選告示直前に自民党本部と協議したのか。
なぜ「九州比例1位」まで合意する必要があったのか。
政策協定と知事選撤退は、本当に無関係なのか。
この点を明確に説明しなければ、「政策協定」の看板を掲げた選挙取引と見られても反論は難しい。
自民党にとっては「保守分裂」の回避
自民党は、沖縄県知事選で古謝玄太元那覇副市長を推薦している。選挙は8月27日告示、9月13日投開票の予定だ。
下地氏が出馬すれば、保守系・中間層の票が分散し、現職の玉城デニー氏を利する可能性は確かにあった。
自民党にとって下地氏の撤退は、まさに願ってもない展開である、といえばある。
一方、下地氏にとっても「九州比例1位」が確約されるのであれば、激戦の知事選を戦うより国政復帰への道筋がはるかに明確になる。
双方の利害は、あまりにも見事に一致している。
だからこそ、今回の合意については、協定書の全文、協議の経緯、合意した日時、出席者、候補者調整との関係を公開すべきである。
密室で候補者が降り、その見返りと受け取られかねない形で比例上位が約束されたのであれば、有権者の選択肢を政党本部が裏側で整理したとの批判を免れない。
「比例1位」は誰のものなのか
比例代表名簿の上位は、政党本部が自由に配るご褒美ではない。
当選に極めて近い順位である以上、事実上の国会議員への指定席となり得る。
それを県知事選からの撤退と同時に約束したのであれば、自民党は全国の党員や九州ブロックの候補者に対しても説明責任を負う。
これまで地域で汗を流してきた自民党関係者よりも、告示直前まで党推薦候補と争おうとしていた人物が、いきなり比例1位になる。
果たして党内は、それで納得するのだろうか。
沖縄県民は「駒」ではない
知事選は、候補者同士の就職活動ではない。
沖縄県の基地問題、経済、子どもの貧困、観光、防災、教育、医療など、県民の暮らしと将来を決める選挙である。
その舞台に名乗りを上げ、「沖縄を変える」と訴えながら、告示直前に国政復帰への道を選ぶ。
これを単なる「政策判断」の一言で済ませることはできない。
下地氏は、支援を約束した人たち、集会に参加した人たち、そして一票を託そうとしていた県民に対し、直接説明すべきである。
そして自民党本部も、「九州比例1位」という重大な合意を、誰が、どの権限で、何を条件として決めたのか明らかにしなければならない。
沖縄の未来を語っていたはずが、最後に見えてきたのは永田町への帰り道だった。
そう批判されたくないのであれば、下地氏と自民党は、合意内容を包み隠さず県民の前に示すべきである。
それが、下地的な「古い自民党政治を変える」第一歩でもある。
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次