アイコン NISグループ/債務超過で貸金業廃業

同社は、1960年嵜岡秀夫氏によって㈱日新商事として松山市に設立された貸金業者。当初は消費者金融と不動産担保貸付・商業手形割引業を営んでいたが、日栄や商工ファンドに魅せられ、商工ローン分野へ。その主力は商工ローンへ移行していった。バブル期の1994年店頭公開を果した。バブル崩壊で、銀行は貸付先がなく、その資金を貸金業者の消費者金融や商工ローン業者に大量に融資を行い、大手は、ますますそれに乗じて巨大化した。同社も然りであった。 

ところが、世紀末(1999年)の10月、奢りと昂りから日栄や商工ファンドが、腎臓売れ事件を引き起こし、逮捕される事件が発覚。国会でも取り上げられ、国は貸金業者やクレジット業者の規制強化に乗り出した。そうしたなか、同社は2004年消費者金融部門をオリエント信販に売却していた。
2006年1月グレーゾーン金利が最高裁判決により否定され、金融業者は不当利得返還請求に翻弄されることになった。破綻する貸金業者や請求逃れに廃業する貸金業者が続出、日栄(ロプロ)、商工ファンド(SFCG)、武富士さえも破綻した。

同社は、2006年10月現社名に変更、生き残りを掛け日本振興銀行と組み、中小企業振興ネットワークを組織、事業資金貸付等を行ってきたが、日本振興銀行の手先となり実質乗っ取りや迂回融資、偽装融資何でもありのような融資グループを形成してきた。しかも日本振興銀行は、ハイエナのSFCGとも融資関係を築き上げていた。こうしたやり方は日本振興銀行が、リーマンショックでSFCGが破綻、大きな損失を生じていたにもかかわらず、仲間内で不良債権飛ばしなどを行い、表面上は焦げ付きがないようにしていたものの、金融庁の調査から、財務内容が実質ボロボロであることが発覚、その結果、日本振興銀行の木村は逮捕され、金融庁により同行は破綻させられた。
同銀行と深い関係にあった同社は、その関係で大量の不良債権、不良資産が発生、その後ネオライングループに入ったものの、今9月中間決算で75億54百万円の債務超過に陥っていた。
新貸金業法では、自己資本規制を設けており、同社は債務超過を解消する額だけの増資をするかどうか迫られ、時世も悪く、貸金業の登録が抹消される廃業の道を選んだものである。株価9円(24日午前)。
裸踊りが得意であった嵜岡さんの関係者が、まだ同社役員におり、本社も東京と松山の2本社制を敷いていた。嵜岡さん一族は、シティズのように早期に会社を売却しとくべきではなかったのだろうか。
 

[ 2010年12月24日 ]
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