アイコン 慶大/ピロリ菌感染から胃がん発症のメカニズム解明

 慶應義塾大学医学部内科学(消化器)の鈴木秀和准教授らの研究グループは、同医学部先 端医科学研究所遺伝子制御研究部門の佐谷秀行教授、東京大学医学部微生物学の畠山昌則教授、長崎大学熱帯医学研究所細菌学分野の平山壽哉教授らとの多施設 共同研究によって、ピロリ菌(注1)由来の「がんたんぱく質(CagA)(注2)」が「がん幹細胞」(注3)(注4)に注入されると、細胞内にCagAを 溜め込み、安定的に存在することを証明した。

 日本では、罹患率が非常に高い胃がん。その発症の危険因子として知られるピロリ菌の 産生する毒素CagAは、通常、オートファジー(注5)というたんぱく質分解システムで壊される。そのため、CagAが、如何にヒトの細胞の中で安定して 存在するかが、発がんの鍵を握るとされてきた。

本研究グループの研究結果は、「ピロリ菌と胃がん」の関係について、初めて、ピロリ菌と「がん」のもとになる「がん幹細胞」の性質をもつ細胞の遭遇という面から直接的に証明し、今後の胃がん発症の予防・治療の標的としての「がん幹細胞」の重要性を示したものである。

1. 研究の背景と目的
 胃がんは、日本では罹患率が非常に高く、部位別死亡数では2番目に多いがんです。胃がんの重要な危険因子としてピロリ菌感染があります。ピロリ菌感染によって胃がんが発症する最も重要な要因といわれているのが、CagAというピロリ菌の産生する毒素の関与です。CagAはヒトの胃の粘膜の細胞の中に、ピロリ菌のIV型分泌機構(注6)を使って打ち込まれた後に、発がんに至るシグナルを誘導します。従って、細菌由来の「がんたんぱく質」であると認識されています。疫学的にも、CagAを作るタイプのピロリ菌の感染が、CagAを作らないタイプのピロリ菌の感染に比較して、圧倒的に胃がんの発症と関係していることがわかっています。CagAによって細胞が、がんになるには、細胞内でCagAが安定的に存在し続け、がん化シグナルを惹起し続ける必要がありますが、細胞内に打ち込まれたCagAが果たして安定して存在できるかについては、実際にはわかっていませんでした。

2. 研究成果と意義
 本研究では、まず、培養した胃の細胞にピロリ菌を感染させ、細胞内に打ち込まれたCagAの安定性を継時的に調べた。
その結果、細胞内のCagAは時間と共に減少し、安定して存在し続けていないことがわかった。そこで、どの様な機序によって細胞内のCagAは分解されているのかを調べた。その結果、元来、細胞が持っている、細胞内のたんぱく質を分解する仕組みの1つであるオートファジーが作動し、これによって細胞内に打ち込まれたCagAが分解されていることがわかった。そこで、どの様にして、CagAを分解するオートファジーが作動するかを調べた。 
ピロリ菌は、CagAの他に、菌体外へ分泌されて、細胞に空胞を形成する空胞化毒素(VacA)(注7)を産生しているが、VacAを作らないタイプのピロリ菌感染では、CagAを分解するオートファジーは作動せず、また、VacAをCagA発現細胞に直接添加すると、CagAを分解するオートファジーが作動することがわかった。
さらに、VacAはヒトの胃の粘膜の細胞の表層にあるlipoprotein receptor related protein-1(LRP1)という受容体に結合したのち、細胞内の抗酸化物質であるグルタチオン(注8)を減らすことで細胞内での活性酸素種(ROS)(注9)の蓄積を誘導し、それによりAkt-MDM2-p53たんぱく質分解の経路が活性化されることで、CagAを分解するオートファジーが作動することがわかった(下図)。
以上のことから、ピロリ菌自らが、VacAを用いて細胞内に打ち込んだCagAを、オートファジーの作動を介して分解することで、細胞内CagA量を抑制的に調節していることがわかった。
そこで、次に、感染しているヒトの胃の細胞のキャラクターが細胞内でのCagAの安定性に影響を与えることはないのだろうか?と考えました。興味深いことに、がん幹細胞のマーカー分子の1つであるCD44 variant 9(CD44v9)(注10)発現細胞では、シスチントランスポーター(xCT)が細胞膜上で安定化し、細胞内グルタチオンを高め、酸化ストレス(注11)、つまり活性酸素に対して抵抗性を示すという特性が知られていた。
今回の研究では、このCD44v9が発現する胃がんのがん幹細胞ではVacAによるCagAを分解するオートファジーが作動しないことがわかった。
その結果、CagAはCD44v9を発現する「がん幹細胞」に特異的に蓄積することが明らかとなった。
つまり、細胞内に打ち込まれたCagAの安定性は、ピロリ菌に感染したヒトの胃粘膜の細胞のキャラクターによって決定され、がん幹細胞の性質をもつ細胞に特異的に蓄積することで、発がんシグナルを惹起し続けていると考えられる。

3.今後の展開
 近年では、臨床疫学的研究の結果からも、ピロリ菌と胃がんの関連は益々濃厚になってきた。しかし、ピロリ菌感染から胃がん発症までには、数十年の歳月がかかること、感染者のうちの胃がん発症者は、ほんの一部であるということから、直接的な胃がん発症の分子機構の解明が求められていた。
本研究は、ピロリ菌によって細胞内に打ち込まれたCagAは、通常、オートファジーによって分解・排除されるが、CD44v9を発現するいわゆる「がん幹細胞」では、細胞内にCagAを溜め込んでいくことを示した。
この成果から、CD44v9の発現状況を調べることが、ピロリ菌感染に伴う胃がんの発症のリスクやピロリ菌の除菌(注12)後の胃がん発症のリスク、さらには、胃がんの再発リスクを評価するときの重要な指標になり得ることが期待できる。
また、本研究では、ピロリ菌の分泌毒素VacAによるCagAを分解するオートファジー誘導の仕組みを解明した。
オートファジーは、元来細胞が持っているたんぱく質分解システムであり、細胞内での異常なたんぱく質の蓄積を抑制している。つまり、強制的に一過性のオートファジーを誘導させることで細胞内CagAの排除促進をもたらすことができ、ピロリ菌感染時の胃がんの発症予防が可能になることも期待できる。
また、生体内にも、がんたんぱく質は存在し、これらのたんぱく質が蓄積することは細胞のがん化を誘導する。従って、一時的にオートファジーを誘導し、がんたんぱく質の蓄積を抑制することによる発がん予防は、胃がんに限らず他の臓器での発がん予防への応用も期待できる。

4. 特記すべき事項
 現在、我が国では、ピロリ菌の除菌療法が、胃潰瘍・十二指腸潰瘍、早期胃がんの内視鏡治療を行ったあとの胃、胃マルトリンパ腫、特発性血小板減少性紫斑病に対して、保険適用の治療となっている。本研究結果により、これらの前駆病変である慢性萎縮性胃炎でピロリ菌の除菌療法を行えば、胃がん発症の予防に一層つながることが期待される。

【用語解説】
注1:ピロリ菌(ヘリコバクター・ピロリ、Helicobacter pylori)
 世界の約半数の人の胃に感染している病原細菌で、世界で約30 億人に感染していると推定されている。その持続的な感染は慢性胃炎、腸上皮化生という段階を経て胃がんが発生する過程に関与することが、疫学調査や動物実験の結果から示されている。

注2:CagA
 約1200個のアミノ酸が連なって作り出される大きなたんぱく質(分子量約13万)で、そのカルボキシ末端側領域には、EPIYAモチーフならびにCM モチーフと呼ばれる特徴的な繰り返し配列が存在している。
CagAは、ピロリ菌の体内で産生された後、菌が保有するIV型分泌機構と呼ばれるミクロの注射針を介して胃の細胞内に注入される。CagAは、胃の細胞内に侵入した後、種々の宿主細胞側分子と相互作用し、それらの分子機能を障害することで胃の細胞をがん化させると考えられている。

注3:がん幹細胞
 がんの組織の中には自己複製能を持ち、異なる分化段階の細胞を産生する能力を有する細胞である「がん幹細胞」の存在が知られており、がんにおける抗がん剤・放射線治療に対する抵抗性やがんの再発には、がん幹細胞の存在が関与していると考えられている。そのため、がん幹細胞を認識する特異的なマーカーやその機能については、世界中で活発な研究がおこなわれている。
 なかでも胃がん、大腸がん、膵臓がん、乳がんなどの固形がんにおいて、CD44陽性のがん細胞は免疫不全マウスへの腫瘍形成能力が高く、CD44陽性のがん細胞が、がん幹細胞としての特性を持つことが報告されてきた。また、がん幹細胞では、細胞内の活性酸素種(ROS)が低く保たれていること、つまり酸化ストレスに対して抵抗性であることが、がん幹細胞としての性質を維持するために重要である。

注4:幹細胞
 各組織を構成する様々な細胞を作り出す根本となる細胞で、未分化な状態で存在することで多様な種類の細胞に分化することができる。近年、がん組織においても、集団を構成するがん細胞の基となる組織幹細胞に似た「がん幹細胞」が存在することが示唆されている。

注5:オートファジー
 細胞が持っているたんぱく質分解システムの1つで、自食とも呼ばれ、細胞内での異常なたんぱく質の蓄積を抑制したり、栄養環境が悪化したときにたんぱく質のリサイクルを行ったり、細胞内へ侵入してきた病原細菌を排除することで、細胞の恒常性を維持するための真核生物(染色体を内部に持つ核をもつ細胞からなる生物で、細菌類と藍藻類を除く大多数の生物のこと)に見られる機能をいう。

注6:IV型分泌機構
 ピロリ菌の菌体表面に存在するミクロの注射針様の形をした分泌装置です。ピロリ菌菌体内で産生されたCagAたんぱく質は、このIV型分泌機構を通して菌からヒト胃上皮細胞に打ち込まれると考えられている。

注7:VacA
 ピロリ菌が産生し、菌体の外へ分泌するたんぱく毒素で、空胞化毒素(vacuolating cytotoxin)とも呼ばれ、ピロリ菌感染時の胃病変に関与することが明らかにされている。

注8:グルタチオン(glutathione; GSH)
 3つのアミノ酸である、グルタミン酸、システイン、グリシンから出来ている分子で、活性酸素種から細胞を保護する役割を有し(抗酸化物質)、細胞内に多量に存在している。

注9:活性酸素種(reactive oxygen species; ROS)
 酸素分子がより反応性の高い化合物に変化したものの総称で、これらの分子は生体内成分を傷害したりする。
活性酸素種は、一般的に、スーパーオキシドラジカル、ヒドロキシラジカル、過酸化水素、一重項酸素の4種類とされる。

注10:CD44 variant 9(CD44v9)
 接着分子であるCD44は、固形がんにおけるがん幹細胞ーとして知られている。佐谷教授らは、さらに、CD44のスプライシングバリアントアイソフォーム(CD44v)が、細胞膜においてシスチンのトランスポーターであるxCTと結合することでグルタチオンの生成を促進し、活性酸素の蓄積を抑制していることを示している。そのバリアントアイソフォームのうち、胃癌ではCD44バリアント9(CD44v9)の発現が再発や患者様の予後の悪さと相関することが示されている。

注11:酸化ストレス
 活性酸素による傷害作用と活性酸素を消去したり傷害を修復する作用との均衡が崩壊し、生体にとって好ましくない状態。

注12:ピロリ菌感染の除菌療法
 ピロリ菌の除菌療法として、我が国では、1回目の一次除菌では、プロトンポンプ阻害薬、アモキシシリン、クラリスロマイシンの3剤を1週間服用し、2回目の二次除菌では、プロトンポンプ阻害薬、アモキシシリン、メトロニダゾールの3剤を1週間服用する方法が保険適用になっている。

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詳細は下記慶応のHPまで
http://www.keio.ac.jp/ja/press_release/2012/kr7a4300000bb0iw.html

[ 2012年12月14日 ]
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