アイコン 支那朝鮮が隠したいサンフランシスコ条約の真実!

投稿者=嫌韓嫌中嫌反日

愛国画報 from LA
ロサンゼルスより愛国心を込めて。大日本帝国万歳。
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1951年9月8日、日本と旧連合国(国連)諸国が講和会議に臨み、開催地の名を取ってサンフランシスコ条約と呼ばれるTreaty of Peace with Japan(日本国との平和条約)を結んだ。条約の正式発効日は翌1952年4月28日だ。この日を以て連合軍による占領状態が終結し、わが国は大東亜戦 争敗戦後、一時的に奪われていた主権を回復した。

サンフランシスコ条約はすべての国々と結んだ取り決めではない。講和会議に出席したものの、ソ連とその子分のポーランド、チェコスロバキアは調印を拒ん だ。既に冷戦時代に突入しており、ソ連率いる共産陣営は、アメリカ率いる自由主義陣営に強国日本が加わることを怖れていた。
 
他に講話会議に招かれなかった国もある。支那だ。併存する中華民国と中華人民共和国のどちらが支那の代表か判然としなかった為と云われている。しかし本当 は日本が支那の内戦に巻き込まれただけで、国対国の戦争ではなかったから、どちらも戦勝国に加えてもらえなかったのだ。これが悔しくて、中共政府は「中日 戦争」と云う珍妙な言葉を作った。わが国でも最近は、左翼が支那事変を「日中戦争」と詐称する。
 
さらに講和会議に参加を求めたが蹴られた国がある。韓国だ。敗戦まで大日本帝国の一部だった朝鮮半島の新興国が、対日賠償請求に加わろうと名乗り出たのを 見て、その図々しさに国際社会は呆れた。韓国は連合国側に名を連ねたコトもなければ、日本と戦争したこともない。それでも署名国になりたいと必死でゴネま くったが、もちろん拒否された。聞くところ、妄想の韓国史では自らが対日戦勝国になっているらしい。


昨日、東京で開かれた主権回復の日の式典には、生活、共産、社民の三党が欠席した。偏向メディア各社は沖縄県にとって屈辱の日だとでっち上げ、反対論を拡 散する。中には式典の報道を見合わせたテレビ局もあると云う。かっては旧ソ連に憧れ、今も支那や南北朝鮮の影響下にある左巻き連中にとって、「サンフラン シスコ条約」の真実は都合が悪いのだ。

愛国画報より掲載

 

 

 

 

 

[ 2013年4月30日 ]
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