アイコン 福岡市長選 いよいよ本番①<民主推薦争い、吉田現福岡市長対木下元佐賀市長>

福岡市は、アイランドシティの埋め立てや博多リバレイン・キャナルシティ博多がバブル崩壊後も建設途上にあったことから「全国一元気な福岡」として幾度となく全国に紹介され持て囃された。しかし、福岡市が関係する博多リバレインは整理され、アイランドシティ(当初総投資計画4,588億円)は、借金だらけのコスト高で高い土地は売れず、財政は窮するばかり。平成18年に誕生した福岡市の吉田市政は、交通網も整備されず不便な埋立地アイランドシティに、自らこども病院を立てる計画を立てている。それも吉田氏は市長選公約を反故にしてまで行おうとしている。しかし、前山崎市長は当こども病院推進で女性票を集められず落選した経緯があり、吉田市長も間違いなく同じ轍を踏むことになる。

そうしたなか本年11月14日福岡市長選がある。福岡市長選には7月13日一番早く木下敏之佐賀(元)市長(50歳)が立候補を表明、吉田宏現市長(53歳)も7月22日出馬を表明した。
何れも民主党支持を取り付けようと請願中。民主市議団は吉田市長に同調しているものの、木下氏は民主党本部に人脈を有しているだけに、両者の推薦決着は色々な調整のため時間を擁している。 
吉田市長は8月6日党本部の枝野幹事長に直接支援要請を行い、県連から顰蹙(ヒンシュク)をかったが、九電工の河部会長率いる福岡商工会議所の政治団体「福岡商工連盟」も吉田市長を推薦する。福岡市の民主支部も吉田市長支援。こうしたなか民主県連は吉田市長にほぼまとまっているようである。しかし古賀一成(衆議)代表の民主県連は、8月15日に決着予定を、これまでの吉田市政を検証するとして8月27日ころまで推薦決定を持ち越してしまった。

木下氏は、佐賀市出身。農林水産省課長補佐を経て1999年3月、民主、社民党推薦で佐賀市長に当選。合併に伴う05年10月の佐賀市長選に民主推薦で出馬し、秀島現市長に敗れたが、改革派として知られている。敗因は保守地盤の田舎の市において、急進過ぎる改革にあったともいわれている。
06年12月には横浜市の中田宏市長(当時)が副市長への起用を図ったが、市議会から承認が得られず辞退。民主政権が設けた行政刷新会議の事業仕分人も務めた。現在は省エネ関連のベンチャー企業の役員などを務めながら、行政コンサルを行っている。こうしたことから木下氏は吉田氏より民主党本部との関係は深い。なお、木下氏は阿久根独裁市長とも懇意にしている。

一方吉田氏は、慶大出のお坊ちゃま、出身は北九州市であるが、西日本新聞社の経済部長を平成15年6月から務め、平成18年12月福岡市長選に初当選、今回2期目の選挙を迎える。吉田氏は前回、民主党の推薦を受け福岡市長選に初当選したが、「こども病院移設白紙」を唱えて当選したものの、現在の民主政権同様、公約なんぞ紙切れとばかり、白紙撤回を撤回して「こども病院」移設建設へまっしぐら。それも「こども病院事件」(40億円建設費水増事件)では、民主会派などと結託して強行突破を図っている。これでは山崎前市長を変えることもなかったと有権者から声が上がるほど。
福岡財界とは、西日本新聞社の経済部長を務めていた経験からも非常に良好な関係を形成。山崎前市長時代は、第3セクターのバブル崩壊後の後処理で財界、特に福銀(現)谷頭取と軋轢も生じた時期があった。しかし、吉田市長になり、そうした問題もなくなっている。こども病院では市議会保守派とも驚くほどうまくやっている。福岡商工会議所(河部会頭=九電工会長)の政治部門が吉田市長支援を表明していることから、福岡財界も暗黙の支持表明となっている。

 

[ 2010年8月17日 ]
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