アイコン 福岡市長選 いよいよ本番⑨ 福岡市政を覆うアイランドシティの亡霊①

福岡市長選 いよいよ本番⑨ 福岡市政を覆うアイランドシティの亡霊①
福岡市政のリーダーシップ欠落の政治空白は、アイランドシティの亡霊によるものである。
アイランドシティの埋め立てを推進した桑原市長は、1998年の市長選①において、開発白紙の山崎氏に破れた。しかし、山崎氏は桑原氏の亡霊に取り付かれ、こども病院のアイランドシティへの移転を発表、その山崎市長は2006年の市長選②でこども病院移転「見直し」の吉田氏に破れ、市長になった吉田氏も「見直した」結果、あっさり「こども病院のアイランドシティ移転」を推進。
果たして、2010年の今回の選挙③では・・・・ 

<アイランドシティ>
開発を決定した桑原市政では、アイランドシティ(401ヘクタール、当初予算4,600億円、当初港湾部分209haは福岡市が直轄、まちづくり用地191haは第3セクターの博多港開発が受け持つ)の埋立てが、多くの反対のなか、またバブルも崩壊した平成6年4月着工された。それから16年、今だその亡霊が福岡市政に取り付いている。アイランドシティもまだ1/5あまりの工事を残している。

<山崎市政>
山崎市政(1998~2006)のアイランドシティは、開発も進み順次埋立地は販売されたが、住宅用地を除き殆ど売れなかった。第3セクターの博多港開発に、開発資金を融資していた銀行が、平成10年には新生銀行・鹿児島銀行が融資を断り撤退、福岡銀行始め他の大口融資銀行が騒ぎ始めた。結局、実質経営破綻していた博多港開発を、福岡市が救済目的で博多港開発の開発中の事業地を市の直轄事業地として買い上げ、その他公園用地、道路用地、病院用地として購入、その資金により金融団への返済が進められてきた。
2002年3月期借入金1,057億4,599万7千円 ⇒2010年3月同124億63百万円

博多港開発における「けやき・庭石事件」(西田市議と博多港開発の志岐社長が、志岐助役時代から結託して、選挙資金捻出のため、法外な価格(原価2~3割)で、それも埋立地に不必要なけやきと五木石を9億8,000万円で買い込んだ事件)が、2002年10月共産党へのタレこみ情報から大問題に発展した。
また1,000億円以上に及ぶ博多港開発の借入問題も重なった。福岡市は博多港開発救済のために実施した病院用地購入では、別途、福岡市民病院とこども病院を移転させる計画が練られた。

<山崎×吉田対決>
1998年の市長選では、自民党の推薦を受けた開発推進の桑原市長であったが、山崎氏は反自民、反開発勢力を結集して、劣勢の中勝利した。山崎市長の2期目は、共産党除く全党推薦で勝利。
山崎市政3期目となる2006年の市長選では、争点が「こども病院移転問題」となり、山崎市長の開発推進を評し自民党が推薦、対抗馬の吉田氏には民主・社民党が推薦して、こども病院移転見直し論の吉田氏が勝利した。

<吉田市政>
2006年吉田市政になり、アイランドシティ問題は「こども病院移転問題」にすりかわった。こども病院移転見直し論で市長になった吉田市長は、見直した結果「推進します」と表明、利権集団の保守派に加え、民主党・公明党の圧倒的賛成多数で市議会の決議まで取ってしまった。現在のこども病院に入院している主婦や家族たちが立ち上がり、移転した場合は交通の利便性が大きく損なわれるとして移転反対、署名活動を繰り広げ18万人の署名を集めていた。
ところが、吉田市長の市政にお粗末が発覚した。
こども病院の建設予算につき、依頼していたコンサルが建替費用85億5,000万円と提出しているにもかかわらず、議会の承認を受けたのは128億3,000万円と42億8,000万円の水増しがあったことが発覚した。
この水増しが、なんとゼネコンに電話で問い合わせた結果、担当局で決定したという、馬鹿馬鹿しいお粗末な話である。電話があった某Tゼネコンは、「積算する資料もなく電話で回答できる問題でもなく、回答を断った」という当然のお話まで付いている。市民団体が、回答したゼネコン名と回答のあった金額等の資料の提出を求めたが、金額を水増しした根拠の重要参考書類=電話メモ等は、市で規定する重要書類には該当せず廃棄したとして、市長は打て合わなかった。
それでも、市が依頼したコンサルからの提出価格に、わざわざゼネコンに電話して42億8,000万円水増ししたことだけは事実である。

こうした市政運営の吉田市長が推進するこども病院移転である。

11月14日の今回の市長選も「こども病院移転問題」が争点となっている。
 

福岡市長選 いよいよ本番⑨ 福岡市政を覆うアイランドシティの亡霊①
福岡市政のリーダーシップ欠落の政治空白は、アイランドシティの亡霊によるものである。
アイランドシティの埋め立てを推進した桑原市長は、1998年の市長選①において、開発白紙の山崎氏に破れた。しかし、山崎氏は桑原氏の亡霊に取り付かれ、こども病院のアイランドシティへの移転を発表、その山崎市長は2006年の市長選②でこども病院移転「見直し」の吉田氏に破れ、市長になった吉田氏も「見直した」結果、あっさり「こども病院のアイランドシティ移転」を推進。
果たして、2010年の今回の選挙③では・・・・

 

<アイランドシティ>
開発を決定した桑原市政では、アイランドシティ(401ヘクタール、当初予算4,600億円、当初港湾部分209haは福岡市が直轄、まちづくり用地191haは第3セクターの博多港開発が受け持つ)の埋立てが、多くの反対のなか、またバブルも崩壊した平成6年4月着工された。それから16年、今だその亡霊が福岡市政に取り付いている。アイランドシティもまだ1/5あまりの工事を残している。

<山崎市政>
山崎市政(1998~2006)のアイランドシティは、開発も進み順次埋立地は販売されたが、住宅用地を除き殆ど売れなかった。第3セクターの博多港開発に、開発資金を融資していた銀行が、平成10年には新生銀行・鹿児島銀行が融資を断り撤退、福岡銀行始め他の大口融資銀行が騒ぎ始めた。結局、実質経営破綻していた博多港開発を、福岡市が救済目的で博多港開発の開発中の事業地を市の直轄事業地として買い上げ、その他公園用地、道路用地、病院用地として購入、その資金により金融団への返済が進められてきた。
2002年3月期借入金1,057億4,599万7千円 ⇒2010年3月同124億63百万円

博多港開発における「けやき・庭石事件」(西田市議と博多港開発の志岐社長が、志岐助役時代から結託して、選挙資金捻出のため、法外な価格(原価2~3割)で、それも埋立地に不必要なけやきと五木石を9億8,000万円で買い込んだ事件)が、2002年10月共産党へのタレこみ情報から大問題に発展した。
また1,000億円以上に及ぶ博多港開発の借入問題も重なった。福岡市は博多港開発救済のために実施した病院用地購入では、別途、福岡市民病院とこども病院を移転させる計画が練られた。

<山崎×吉田対決>
1998年の市長選では、自民党の推薦を受けた開発推進の桑原市長であったが、山崎氏は反自民、反開発勢力を結集して、劣勢の中勝利した。山崎市長の2期目は、共産党除く全党推薦で勝利。
山崎市政3期目となる2006年の市長選では、争点が「こども病院移転問題」となり、山崎市長の開発推進を評し自民党が推薦、対抗馬の吉田氏には民主・社民党が推薦して、こども病院移転見直し論の吉田氏が勝利した。

<吉田市政>
2006年吉田市政になり、アイランドシティ問題は「こども病院移転問題」にすりかわった。こども病院移転見直し論で市長になった吉田市長は、見直した結果「推進します」と表明、利権集団の保守派に加え、民主党・公明党の圧倒的賛成多数で市議会の決議まで取ってしまった。現在のこども病院に入院している主婦や家族たちが立ち上がり、移転した場合は交通の利便性が大きく損なわれるとして移転反対、署名活動を繰り広げ18万人の署名を集めていた。
ところが、吉田市長の市政にお粗末が発覚した。
こども病院の建設予算につき、依頼していたコンサルが建替費用85億5,000万円と提出しているにもかかわらず、議会の承認を受けたのは128億3,000万円と42億8,000万円の水増しがあったことが発覚した。
この水増しが、なんとゼネコンに電話で問い合わせた結果、担当局で決定したという、馬鹿馬鹿しいお粗末な話である。電話があった某Tゼネコンは、「積算する資料もなく電話で回答できる問題でもなく、回答を断った」という当然のお話まで付いている。市民団体が、回答したゼネコン名と回答のあった金額等の資料の提出を求めたが、金額を水増しした根拠の重要参考書類=電話メモ等は、市で規定する重要書類には該当せず廃棄したとして、市長は打て合わなかった。
それでも、市が依頼したコンサルからの提出価格に、わざわざゼネコンに電話して42億8,000万円水増ししたことだけは事実である。

こうした市政運営の吉田市長が推進するこども病院移転である。

11月14日の今回の市長選も「こども病院移転問題」が争点となっている。
<アイランドシティ>
開発を決定した桑原市政では、アイランドシティ(401ヘクタール、当初予算4,600億円、当初港湾部分209haは福岡市が直轄、まちづくり用地191haは第3セクターの博多港開発が受け持つ)の埋立てが、多くの反対のなか、またバブルも崩壊した平成6年4月着工された。それから16年、今だその亡霊が福岡市政に取り付いている。アイランドシティもまだ1/5あまりの工事を残している。

<山崎市政>
山崎市政(1998~2006)のアイランドシティは、開発も進み順次埋立地は販売されたが、住宅用地を除き殆ど売れなかった。第3セクターの博多港開発に、開発資金を融資していた銀行が、平成10年には新生銀行・鹿児島銀行が融資を断り撤退、福岡銀行始め他の大口融資銀行が騒ぎ始めた。結局、実質経営破綻していた博多港開発を、福岡市が救済目的で博多港開発の開発中の事業地を市の直轄事業地として買い上げ、その他公園用地、道路用地、病院用地として購入、その資金により金融団への返済が進められてきた。
2002年3月期借入金1,057億4,599万7千円 ⇒2010年3月同124億63百万円

博多港開発における「けやき・庭石事件」(西田市議と博多港開発の志岐社長が、志岐助役時代から結託して、選挙資金捻出のため、法外な価格(原価2~3割)で、それも埋立地に不必要なけやきと五木石を9億8,000万円で買い込んだ事件)が、2002年10月共産党へのタレこみ情報から大問題に発展した。
また1,000億円以上に及ぶ博多港開発の借入問題も重なった。福岡市は博多港開発救済のために実施した病院用地購入では、別途、福岡市民病院とこども病院を移転させる計画が練られた。

<山崎×吉田対決>
1998年の市長選では、自民党の推薦を受けた開発推進の桑原市長であったが、山崎氏は反自民、反開発勢力を結集して、劣勢の中勝利した。山崎市長の2期目は、共産党除く全党推薦で勝利。
山崎市政3期目となる2006年の市長選では、争点が「こども病院移転問題」となり、山崎市長の開発推進を評し自民党が推薦、対抗馬の吉田氏には民主・社民党が推薦して、こども病院移転見直し論の吉田氏が勝利した。

<吉田市政>
2006年吉田市政になり、アイランドシティ問題は「こども病院移転問題」にすりかわった。こども病院移転見直し論で市長になった吉田市長は、見直した結果「推進します」と表明、利権集団の保守派に加え、民主党・公明党の圧倒的賛成多数で市議会の決議まで取ってしまった。現在のこども病院に入院している主婦や家族たちが立ち上がり、移転した場合は交通の利便性が大きく損なわれるとして移転反対、署名活動を繰り広げ18万人の署名を集めていた。
ところが、吉田市長の市政にお粗末が発覚した。
こども病院の建設予算につき、依頼していたコンサルが建替費用85億5,000万円と提出しているにもかかわらず、議会の承認を受けたのは128億3,000万円と42億8,000万円の水増しがあったことが発覚した。
この水増しが、なんとゼネコンに電話で問い合わせた結果、担当局で決定したという、馬鹿馬鹿しいお粗末な話である。電話があった某Tゼネコンは、「積算する資料もなく電話で回答できる問題でもなく、回答を断った」という当然のお話まで付いている。市民団体が、回答したゼネコン名と回答のあった金額等の資料の提出を求めたが、金額を水増しした根拠の重要参考書類=電話メモ等は、市で規定する重要書類には該当せず廃棄したとして、市長は打て合わなかった。
それでも、市が依頼したコンサルからの提出価格に、わざわざゼネコンに電話して42億8,000万円水増ししたことだけは事実である。

こうした市政運営の吉田市長が推進するこども病院移転である。

11月14日の今回の市長選も「こども病院移転問題」が争点となっている。
 

[ 2010年9月 6日 ]
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