アイコン 対馬と朝鮮は争いの歴史/今度は対馬の領有権主張する無法国家韓国の民度 

韓国ソウル近郊京畿道の「議政府市議会」は22日、先ごろ開かれた臨時議会で対馬の領有権を主張し、政府と国会に対応を求める決議文を採択したと明らかにした。日本政府には島の即時返還を要求している。
対馬は九州本土から約147キロ、韓国・釜山からは49.5キロに位置する。
朝鮮王朝時代の地理書「東国輿地勝覧」をはじめ日本の江戸時代の地理書「三国通覧図説」、英国の1855年の地図や1865年の米国の地図には対馬が朝鮮の領土であるという記録が残っているという。

同市議会は決議文で「対馬は地理的、歴史的、科学的に見ても韓国の領土であることは明らかだ主張。
韓国政府はこの事実を正式に取り上げ国連をはじめとする国際社会に示し、領有権確保に向け努力すべきだと強調した。
国会に対しても対馬の領有権主張など懸案を幅広く取り上げるよう求めた。
同市議会は、日本政府にも独島領有権主張の撤回と対馬の即時返還を求めた。
決議文は大統領、国会議長、外交通商部長官、在韓日本大使館に伝達する。
一方、慶尚南道の「昌原市議会」は今月18日に「対馬の日」条例制定8周年記念式を開き、対馬の領有権をあらためて主張した。
以上報じられている。

韓国市民を代表する議会でこんなことを決議するとは、民度以前にアホかバカかと言いたいが、ますます日本の反韓派や国民を怒らしてしまうものとなろう。ここまでくれば、韓国の議員たちは狂っているとしか言いようがない。こんな国を相手にするほど、日本政府は弱腰になっているのだろうか? 
今の韓国は、反日の極め付け李承晩時代に完全に遡っているが、日本は、朝鮮戦争で、敵国アメリカに頼まれ、米軍に追随して南朝鮮の韓国を大々的に支援したことが今日大きな仇になっているようだ。

<元寇、破壊された対馬・壱岐・松浦の復讐こそ倭寇>
(以前当JC-NET掲載した分を一部修正して再掲)

<前期倭寇と後期倭寇>
前期倭寇は、日本人が中心、元寇に際して元軍とその支配下にあった高麗軍によって島民を虐殺破壊し尽くされた対馬・壱岐・松浦・五島列島などの生き残り住民が中心であり、「三島倭寇」と総称された。
前期倭寇が活動していたのは14世紀(1300年代)、日本の時代区分では南北朝時代から室町時代初期、朝鮮では高麗から李氏朝鮮王朝の初期にあたる。
日本では北朝を奉じて室町幕府を開いた足利氏と、吉野へ逃れた南朝が全国規模で争っており、中央の統制がきかず倭寇も活動し易かったという日本の内国政治事情もある。

<倭寇は被害島民たちの元寇への復讐・報復>元寇1274年・1281年
倭寇による朝鮮半島や中国沿岸に対する海賊行為は、元寇(1274年文永の役と1281年弘安の役)に対する九州北部の私軍による復讐の意味合いと再度の侵攻への予防という側面もあったと考えられる。
清の徐継畭の『瀛環志略』や李氏朝鮮の安鼎福の『東史綱目』には、倭寇の原因は、日本に対する侵略行為を行った高麗人(朝鮮人)への報復であると記述されているという。

<モンゴル帝国と高句麗王忠宣王>仏像製作年と忠宣王1330年
モンゴル帝国はチンギス・カン(1206年から1294年)の時代が全盛、1294年から4ヶ国に分かれ連邦制に移行。モンゴル帝国の皇帝位は1634年の北元滅亡まで存続した。

韓国に拉致されている対馬の観音寺の仏像「観世音菩薩坐像」の中に納められていた「結縁文」に記載されている年代は、27代高句麗王の忠粛王(1294年~1339年、在位1313~1330年及び1332年~1339年)の時代であり、忠粛王の父は26代高句麗王の忠宣王、母はモンゴル人、妃はモンゴルの皇族出身者である。

<高句麗軍による第1次対馬征伐>1389年
 高句麗軍は1389年に対馬侵攻(第1次対馬征伐)、対馬の船300艘破壊、家屋焼き討ち、倭寇により捕虜になっていた高句麗住民100名を救出したと高麗史などに記述されている。
 
<初代朝鮮王李成桂による第2次対馬征伐 壱岐・対馬討伐>1396年
1396年12月、李成桂(李氏初代朝鮮王、元モンゴルの武官、後高麗の武官)が壱岐・対馬討伐を命じた。朝鮮王朝実録に記載されているが日本には記録が残っていない。

<足利義満が前期倭寇を鎮圧>1400年前後
中国では1368年に朱元璋が明王朝を建国、日本に対して倭寇討伐を要請するため使節団を日本へ送る。室町幕府3代目将軍の足利義満が1392年に南北朝合一を行い、その後倭寇を鎮圧した。義満はその功績により明朝と正式に1404年(応永11年)から勘合貿易を行った。
 (朝鮮はその後 第3次対馬征伐を行うことから、義満の倭寇対策は明国の要請に基づき、明国対象に行われたと推測される)

<朝鮮王による第3対馬征伐>1419年
1419年の「応永(室町時代)の外寇」李氏朝鮮の世宗(4代目在位1418~1450)及び父の太宗(3代目在位1400~1418)による対馬侵攻。
1419年6月、対馬の重鎮たちが明国へ行っている隙に、李従茂(朝鮮軍の総大将)率いる227隻、17,285名の軍勢が対馬に侵攻した。また同時に朝鮮国内の在留商人らを一斉に抑留した(当時の対馬の軍勢は600人とされている)。
朝鮮軍は対馬一帯の船舶129隻を焼き払い20隻を奪い、民家1,939戸を焼き払い、また104(実録には首級114)の島民を殺害したと朝鮮王朝実録に掲載されている。
しかし、対馬の軍勢の反撃にあい2,500名の損失と戦いが敗戦であったことを同実録が記載している(対馬領主である宋定盛の撤退要求で、要求をのみ同年7月3日完全撤退している)。
しかし、こうした李氏朝鮮国の動きや足利幕府の弾圧に倭寇は次第になくなっていった。
高麗史は、朝鮮の高麗王朝(918年 - 1392年)のことを記した紀伝体の官史。編纂は李氏朝鮮の鄭麟趾らによって行なわれ、文宗元年(1451年)に完成した。成立の際、高麗国王歴代の実録をはじめ多くの公私文書・書籍が参照されたが、すべて焚書または消失し、大部分は現存しないので、この『高麗史』と独立に編纂された春秋館編纂の編年体の形式『高麗史節要』(1452年)が、高麗時代の史書となる。
朝鮮王朝実録は、李氏朝鮮の初代太祖の時から純宗に至るまで27代519年間の歴史を編年体で編纂した1967巻948冊の実録。日本、北朝鮮では『李朝実録』と呼ぶ。李氏朝鮮時代の政治、外交、軍事、経済など各方面の史料を記載しているといわれるが、中国や日本の歴史との整合性がないところも多々あるとされる。
新増東国輿地勝覧は、李氏朝鮮時代の地理書。これ以前には高麗史地理志などもあるが、独立した地理志としては現存最古のもの。
1530年、中宗の命により、 李荇、尹殷輔、申公済等が編纂した官撰地理志である。55巻。巻32の東萊県(現・釜山広域市)条に対馬島の記述があり、日本国対馬州なり。旧、我鶏林(慶尚道)に隷属すと記載している。
(注)前期倭寇時代から時間が100年以上経過しており、当時、倭寇による襲撃も途絶えていたものと思われ、朝鮮による3次に渡る対馬討伐が倭国=和国であることを物語っているが、前提とされていない。昔から都合のよい記述をするのが韓国人の習性だろうか。
 暫くすれば、間違いなく今度は日本全土が韓国領だと言い出すのであろう。
朴女史によれば1000年こうしたことが続けられるという。

有史以来正当なる日本国「対馬」
<古事記・日本書紀>

『古事記』の建国神話には、最初に生まれた島々(「大八洲」)の1つとして「津島」と記している。
『日本書紀』の国産み神話のなかには「対馬洲」「対馬島」の表記で登場する。古くから大陸との交流があり、歴史的には朝鮮半島と倭国・倭人・大和を結ぶ交通の要衝であった。

<魏志の倭人伝>
『魏志』倭人伝では、「対馬国」は倭の一国として登場する。帯方郡から邪馬台国への経路の途上、「狗邪韓国」(韓国慶尚南道金海)の記述につづいて「一海を渡ること一千余里」の南に位置するとしており、邪馬台国に服属した30余国のなかの一国であった。
そこには、対馬は、居る処は絶島で、土地は山が険しく、深林が多く、道は獣の径のようであり、千余戸の家はあるものの、良田がないので海産物を採集して自活し、船による南北の交易によって生活していたと記されている。また、他の倭の諸国にもみられる「卑狗」という大官と、「卑奴母離」という副官による統治がなされていたとする。

(注)魏志倭人伝は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称。当時、日本列島にいた民族・住民の倭人(日本人)の習俗や地理などについて書かれている。著者は西晋の陳寿で、3世紀末(280年(呉の滅亡)~297年(陳寿の没年)の間)に書かれ、陳寿の死後、中国では正史として重んじられた。(当伝書には、幻の邪馬台国も記載されている)

以上、高麗史や朝鮮王朝実録という韓国の歴史書や古事記・魏志の倭人伝を引用する以前に、アホかバカかと韓国の民度を疑うものなり。
こうした気違い国家を相手するような日本・日本人であってもなるまい。今は国や企業が相手にし過ぎているが、すべてに渡り相手にしないことだ。
天上で豊臣秀吉が激怒していよう。
日本人や日本企業が既に守銭奴と化かし、日本人のアイデンティティをなくしてしまっていれば、もうこれ以上書くまい。

[ 2013年3月23日 ]
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