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文在寅大統領が過去、ハンギョレの創立に関与し、釜山の支局長まで務めていたことからもその関係性が理解でき、昨年4月にはハンギョレ人材を大統領報道官に任命(今年、不動産投機疑惑で失脚)していたことでも明らかである。

チョ・グク氏スキャンダルで大統領支持率が急落、ハンギョレさえチョ・グク氏指名について否定的な見解を掲載したが、左派系中心にチョ・グク氏支持拡大局面=大統領特権で任命が確実視されるに至り、今度は、検察を批判することで、チョ・グク氏の支援記事を掲載している。

法務部長官にチョ・グク氏を任命した場合、検察の任命権者であり、検察は積弊清算にかけられ、その独立性をズタズタに引き裂かれることであろう。結果、当告発事件は迷宮入りになる。

検察改革とは、文政権に忖度させるための改革なのか。文政権は、何人、自殺者を出せば気が済むのだろうか。

 

第15代大統領選の候補指名争いが終盤に向かっていた1997年10月、新韓国党の李会昌候補側は、新政治国民会議の金大中候補が670億ウォンの秘密資金を造成した疑惑があるとし、金候補を脱税及び収賄授受の疑いで検察に告発した。

検察は全国高等検事長会議を開き、捜査を開始するかどうかについて話し合ったが、慎重論と強行論が真っ向から対立し、結論を出せなかった。

結局、この事態はキム・テジョン当時検察総長が捜査を大統領選挙後に留保すると電撃的に発表することで幕を閉じた。

時計の針を逆さに回してみれば、当時の検察の捜査留保はあまりにも当前の答だった。

「不正疑惑の捜査はいかなる聖域もあってはならない」とよく言われるが、その命題が常に正しいわけではない。

特に、国民の判断に任せなければならない事案に検察がメスを入れれば「矯角殺牛」(わずかな短所を直そうとして逆に全体が悪くなってしまうこと)の愚を犯しかねない。後日、キム・テジョン検察総長は「(当時捜査に着手したなら)全羅道で反乱が起こっただろう」と述べたが、「反乱の勃発」があるかどうかを離れ、有権者の選択を控えて検察が政治的事件に介入するのは重大な過ちだ。

 

同じ脈絡で、検察がチョ・グク法務部長官候補に対する捜査に乗り出したのは、どう見ても間違った決定と思われる。

文在寅大統領がユン・ソギョル検察総長に任命状を渡しながら、「大統領府であれ政府であれ政権与党であれ、権力型不正があれば厳正な姿勢で臨んでほしい」と言った言葉が捜査の正当性の根拠として取り上げられるが、その言葉が今回の場合に必ずしも合うものではない。

文大統領が述べたのも、「権力型不正」に対する徹底した捜査だった。しかし、今検察が行っている捜査は、主にチョ候補者の過去の教授時代に起きたことだ。

私募ファンド問題は、大統領府の民情首席就任後のことだが、これも明白な「権力型犯罪」の疑いが明らかになって捜査に着手したわけではない。

 何よりもチョ候補者をめぐる論争は、道徳の問題であって法の問題ではない。

娘の論文の第1著者登載、奨学金の支給などを通じて現れた特権と特別待遇、チョ候補者の言行不一致などに多くの人が失望と怒りを覚えているのだ。

しかし、検察は高官候補者の「道徳」と「廉恥」に対する「国民的判断」を求める事案に向けて、「違法」と「脱法」に対する「司法的判断」を突きつけようと乗り出している。

検察が、捜査まで着手する状況に至れば、候補者がこれ以上持ちこたえられず辞退するのが常識のように思われたが、今回はそのような一般的な予想も外れた。

チョ候補者は「修身斉家」(自分の行いを正して国を整えること)が実施できなかったことについては謝罪しながらも、「治国」のために了解してほしいとして踏ん張っている。

チョ候補者のこのような姿、そして今回の事態に対する任命権者の態度など、公職者の任命をめぐる全過程は国民の政治的評価の対象になる。

これが政治過程だ。検察が生半可に割り込めない部分だ。

検察はチョ候補者の国会での記者懇談会が終わるやいなや大々的な家宅捜索に乗り出すなど、「臨戦無退」の決意をさらに燃やしている。

ホン・ジュンピョ元自由韓国党代表は「誤った状況を正す所は検察だけだ」とし、「(チョ候補者は)青光りする断裁機の刃のもと、行きも戻りもできない進退両難の立場」だと話した。

しかし、今の状況を見てみれば、さらに鋭く危険な断裁機に上げられたのは、むしろ検察のようだ。

ユン・ソギョル検察総長の任命に躍起になって反対した勢力が、「信じられるのはユン総長だけだ」とエールを送る一方、ユン総長の指名に拍手喝采を送った多くの人々がいまやユン総長に対して非難を浴びせるという逆説的な状況が、現在の検察の置かれている状況を雄弁に物語っている。

 「チョ候補者対検察」の結末は果たしてどうなるだろうか。あまりにも多くの変化要因が潜伏しており、誰も予断できない。ただ、明らかな事実は、両方とも退くことのできない刃の上の危険な争いをしているという点だ。特に検察の特性上、すでに抜き取った刀を鞘に納めようとはしないだろう。原則どおりならば、検察が、チョ候補者が直接関与した違法行為を明らかにして起訴する程度にならなければならないが、捜査の様相はそのような次元から離れて流れている。

結末がどうなろうと、検察の今回の捜査は後々まで苦い後味を残すことになる。

今後、主要な公職候補に対して告発があれば、国会人事聴聞会に先立ち、検察が先に捜査しなければならない状況になってしまった。

何よりも検察は、今回の捜査を通じて「検察共和国」の意味を再び書き加えた。

これらのようなことで、「検察改革」の実行は、さらに切実な課題となった。