アイコン 小泉劇場から仕分け劇場へ

民主の各大臣や議員から異論が発せられるほど、劇場は当初からクライマックスである。斬る方は至って簡単、けれど斬られる方はたまったものではない。

よく聞いていると公金を運用、その運用利回りだけで運営資金を賄っていたり、面白いを通り越して滑稽さまで感じる。今回の仕分けでは天下りも目の敵にされているようだが、旧政権と今までの官僚が一丸となり作り上げてきた事業ばかり、利益が合致する者同士で税金が使用されてきたことをまざまざと見せ付けられる。これまで公共投資の名の下に立派な施設が全国各地によく作られたものである。こうした施設には多くの天下りや縁故の人が一杯採用され、高給も取り(一般に公務員より高い)、破綻の心配もなくこれまできた。
北欧では、官庁の施設は民間に比べ質素といわれている。日本の場合は全く逆でデザインコンペにより決定、膨大な建設予算が注ぎ込まれる。国民目線で施設は全く作られていないのが実情。そのためこれまでにも施設が地方に移管されたもののランニングコストの高さに財政を悪化させている地方公共団体さえある。
民主政権による100年の一度の大掃除、ある程度犠牲も伴おうが、仕分けされた中には、国民のため有効に使用されている部分も多くある。仕分けで廃止と斬られた事業に対して斬るだけではなく、国民目線で有効な部分をどう見直し処理するかが大事である。
国民にとって、仕分け作業は劇場中継でしかない。斬ってる方々は、議員を始め有識者といわれる方々ばかりであり、実際国民目線と程遠い方々ばかりである。
こうしてバッサリ・バッサリ斬り捨て、数値まで出てくるものだから、早速金を統括する藤井大臣様は必殺仕分け人の仕分けを尊重するとしている。
さすが、TV出演をしなくなった原口さんは、総務省管轄案件の仕分けに、ニタッともせず、問題ありと強気の発言をしている(見直しました)。
小泉劇場も仕分け劇場も単なるパフォーマンスのようで、劇場中継する必要性が疑われる。
国に財政資金がないのなら、夕張市を見本にしたら良いのでは(まず民主政権は国会議員の報酬及び付帯経費の大幅減額を成すべきではないだろうか)。
 

[ 2009年11月16日 ]
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