アイコン 谷川弥一・衆議院予算委員会速記録!

谷川予算11月5日、衆議院予算委員会で、長崎の恥から日本の恥とまで嘲笑されている、あの芸者男の谷川弥一が臆面もなく予算委員会で質問に立っている。

テレビに映らなかったのがせめてもの救いだった。自民党の皆さま、本気で自民党を再生させる気があるんだったら、谷川弥一など二度と国会で質問させないでください。谷川は「いい国に生まれたなと私は思っております。」とほざいているが、長崎県民は「とんでもない奴を国会に送ってしまった」と、悔やんでいます。
暇な人は下記の谷川弥一の質問でも読んでみてください。

○谷川委員
自民党の谷川弥一であります。
東大出の先生方が多い中、宇が違うんですが、私は酉の果ての五島列島の灯台出で、かつ五島なまりが強いということで、テレビに映らない最終日の最後の質問になりました。いい方に解釈すると、トリということになります。その上、総理にも御出席賜り、感謝申し上げます。私は政治家に対するある思いがあります。それは、国民の代表として、出てきているんだから、宗教心のある方で、哲学を持ち、信念を持ち、できれば教養もあってほしい、そういうふうに思います。
私が言う宗教心とは、おたくらが言う友愛とは若干違いまして、例えば、お釈迦様の遺言に「ヴァヤダンマー サンカーラ アッパマーデーナ サムバァデトゥワ」というのがあるんですが、生きとし生けるもの、ありとあらゆる存在物は刻々として壊れつつある、その壊れる瞬間瞬間から目をそらさず、努力、精進せよということです。
私が言う哲学とは、人類の歴史を長いスパンで見ると、一つは貧乏からの脱出であり、一つは自由の獲得の歴史だ。その点で見ると、いい国に生まれたなと私は思っております。
谷川予算私が言う文化とは、例えばこれはいろいろあるでしょうが、「朝焼雨ふる大根まかう ひっそりかんとしてぺんぺん草の花ざかりすずめをどるやたんぽぽちるや 日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ」例えばこういうのです。「春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり春まけてものがなしきにさ夜ふけて羽振き鳴く鴫誰が田にか棲む」こういう心を持った人が政治家に多く出てほしい、そういうふうに思っているんですが、民主党さんが言う友愛でどうしても納得できないことがあります。
それは、この間の総理の所信表明演説のときですが、拍手というのは、交響楽とか能とかを聞いたときのように、本当に心を込めて静かに拍手してほしい。うわっというのはいかにも友愛の心に反する、僕はそう思うんです。
もう一つは、我々が質問するときに、質問が聞こえないようなやじはやめていただきたい。我が党がやったからまねするというんだったら、それはいい方向に政治が変わっていく政権交代にはならない。悪いことはまねする必要はないんです。もう一回言いますが、五島列島の灯台しか出ていない人間が本当の東大出に言うんですから、これは真剣に考えていただきたい。長々この議論を言うつもりはありませんが、今の私の質問に対して総理、総理が言う友愛というのは間違っているんじゃないかな、使い方が。あくまでも、先輩議員の質問に答えたように、思いやりであるとか博愛であるとかいうんだったら、その言葉に合ったような言動をしていただきたい。そうしないと、一番国民が尊敬しなければならない総理の地位が下がりますよ。お願いします。どうぞ友愛の心でビシッと民主党は統一していただきたい。よろしくお願いします。御所見があったら。

○ 鳩山内閣総理大臣
谷川委員から、生きとし生けるものという、私が先般、稲田議員のところでもそんな話をいたしましたけれども、自然を愛する五島列島で育たれた谷川委員の思い、私は、友愛の精神というものを大事にされておられるな、そのように思います。その意味で申し上げれば、確かに、私どもの、例えば演説で、感銘を受けたときに、心の中で響くものであって、それをワアッとやり過ぎるのはいかがなものかという気持ち、わからぬでもありません。しかし、ある意味で、まさに自分なりの思いというものに共感をしたときの自然の叫びだとも御理解を願いたいと思いますし、ただ、いたずらな野次というものは、私は国会の品位というものを汚すものだ、そのように理解をいたしておりますので、私としては余りやじを好むものではないということは申し上げておきたいと思います。
以上です。
 

[ 2009年11月11日 ]
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