アイコン 福岡流通大戦争⑨/福岡商店街の歴史/特別編「福岡玉屋跡地・ゲイツほか」

<中洲ゲイツ>
福岡玉屋跡地開発は、アスクプランニングセンターが、アメリカのハゲタカファンドに資金を出させ、開発する計画がスタート。当初バブコック・アンド・ブラウンを事業主体にして、アスクプランニングセンターが施設の企画、設計、運営を受託するというものであった。しかし、バブコックが投資に断り、03年12月、事業主体がケネディ・ウィルソン・ジャパンに変更になり、大林組の施工で福岡ゲイツビルが06年春オープンした。

大型複合型の商業施設ビルであったが、テナントがスカスカ、せっかく中央の九州初進出の店が多く集まったものの、1年もせず多くのテナントが撤退、中央競馬会の馬券売場まで誘致したが、テナントのガラガラ状態は今でも続いている。トーホーも地階にスーパーを出店していたが、中洲のお姉ちゃんも買い物に来ず既に撤退している。投資したハゲタカのケネディクスは破綻前の08年3月AIGに売却して儲かっている。馬鹿を見たのはAIG、中洲で夢を見たのはアスクの廣崎社長である。大損こいたのはテナントで、ビル自体にお客の集まらず、テナントは内装費など多額の費用を投資しており大損、撤退したテナントから管理会社が訴えられる場面もあった。
 アスクは、関東でこうした開発の成功事例があるようであるが、福岡でのマーケティング力は全くなかったようである。

福岡

<ビビ福岡>
ビビ福岡というビルが天神南にある。元RKB放送局があったRKBの遊休地。大和工商リースがRKBに働きかけ、ファッションビルのビビ福岡を04年9月オープンさせた。しかしテナントが集まらず集客も大苦戦。4・5階に入居していたベスト電器も06年3月撤退、家賃収入計画が大きく狂い怒ったRKBは06年7月開発した大和に建物を43億円で引き取らせ、土地も賃貸する契約に変更した。
そこで大和は、中途半端に入居していたミニスーパーやファッション関係のテナントを追い出し、07年7月ファニチャーランドビルとしてリニューアル、再生を試みている。
家具テナントも福岡のアンテナショップとしては意味を成すだろうが、福岡も住宅着工件数が極度に悪化しており、採算を考慮すれば大変。
大和ハウスGは、都市近郊型の商業施設開発やロードサイドのモール開発は実力者。今では同社の主力事業の一つとなっている。しかし、都心型の商業施設ビルの開発実績は殆ど聞かず、マネジメントまでやったことに問題があったのであろう。


ビビ福岡は、三越百貨店から300メートル南に位置するが、その300メートル内に集客する施設がなかったため閑古鳥状態。その300メートル間に07年11月ロフトが誕生して人の流れも変わってきた。しかしロフトから南に大きな交差点という関がまだあった。その関を越えてくる客はまだ少ない。
ビビ福岡の前には、大型の渡辺通り再開発が区画整理事業として動いているが、不動産ミニバブルも崩壊していることから、通り側に大・中のビルが建つ計画もなかなか進展しそうにない。
福岡のオフィスビル空室状況は、09年12月現在15.38%(既存分は14.33%、1年内の新規物は43.17%)、福岡では8%が新規ビル建築投資のバロメーターとされることから、暫くはオフィスビルの建築は無謀のようである。


福岡 

[ 2010年2月 4日 ]
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