アイコン 唐津人 飲酒運転通報に逆上 警察署に飲酒運転で乗り付け御用

佐賀県唐津は、たまには良いニュースを発信してほしいものだが、唐津署は29日、飲酒運転の疑いがあると連絡されたことに逆上し、通報者を聞き出そうと酒臭いまま車で交番に乗り付けたとして、道交法違反(酒気帯び運転)の疑いで、農業青木容疑者(43)を現行犯逮捕した。
 29日午前1時ごろ唐津署鏡交番に「ふらふらしている車がある」と匿名で通報があった。車のナンバーから署員が青木容疑者宅を訪問。飲酒運転の確認は取れず引き上げた。
 ところが、午前2時40分ごろ、容疑者が鏡交番に車を乗り付け、「誰が通報したんだ」と詰め寄ってきた。酒の臭いを感じ検査したところ、基準値を超えるアルコールが検出された。
 以上、東京新聞

東京でも笑いものになっている唐津人のすごさ。

福岡国道3号線では、夜遅くになるとフラフラした車が走っていることがよくある。後続車は車線変更するか、車間距離を取るしかない。国道の幹線道路は交通量も多く、警察が取り締まらないことから、大丈夫と思って運転しているのだろうが、後続車からはその異常はすぐわかる。
「通報されて逆上するとは・・・」危なっかしい世の中になったもんだ。
政治がいい加減で、世の中が上から下までいい加減になり、人が切れやすくなっているのだろうか。私見ではあるが、20年前と比較してかなりキレ安い人たちが増加、またそういう人たちが大きな事件を引き起こしている。科学的に分析し、対策することも必要だろう。低賃金へ流れる収入、食生活、人間関係。

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魏志倭人伝では末盧国として登場する。菜畑遺跡、久里双水古墳など遺跡も多い。
松浦佐用姫伝説でも有名な地であり、万葉集では次のように詠われている。
・遠つ人松浦佐用比賣夫恋いに領巾振りしより負へる山の名(万葉集巻五871)
・海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫 (万葉集巻五874)
歌の背景は、
宣化天皇二年(537年)、朝廷の命を受け、隣国の新羅に侵略されていた朝鮮半島 の任那、百済を救援するための兵を率いて唐津へとやってきた大伴狭手彦は、出陣のための軍船の建造や準備の為にしばらくここ唐津に留まり、 その際、篠原長者の館に滞在することにしました。篠原長者には、佐用姫というとて も美しい娘がおり、佐用姫が挟手彦の身の回りの世話をするうち、二人はお互い惹かれ合って恋仲となり、やがては夫婦の契りを結びました。・・・・・。

鎌倉時代には、地域の結束力の堅い松浦党ができ、元寇では大軍と戦い多くの犠牲者を出した。その後、恨み辛みが嵩じて朝鮮を攻め、初期の和寇と呼ばれるようになった。
朝鮮征伐では豊臣秀吉が唐津市呼子に名護屋城を築き、征伐の拠点とした。
佐賀県にはカチカラスが生息している。一般的な真っ黒けのカラスとは異なり、小型で白色が混じる。地元ではコウゲガラスとも呼ばれ、高句麗が訛ったものと思われる。朝鮮征伐で加藤清正(熊本城主)が連れ帰ったと伝えられている。
唐津城、名護屋城跡地、鏡山、虹ノ松原、呼子波戸岬などあり、防人の歌など万葉集に多く詠まれた風光明媚な九州本土で朝鮮に一番近い港町。
 

[ 2014年5月30日 ]
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