アイコン 和食文化をキッコーマンとともに世界に広めた栄久庵憲司氏の功績

和食のグローバル化の一番の立役者はキッコーマンの醤油だといわれる。キッコーマンのとっくり形の卓上醤油差しに入った醤油を小皿に注ぎ、はしで寿司を食べるという食事スタイルが和食のイメージとして根付いたという。
日本だけではなく欧州の和食レストランにも必ず置いてある「赤いキャップの醤油差し」。
米紙ニューヨーク・タイムズや英BBCなどの海外大手メディアが、日本の工業デザイナーが亡くなったことを報じた。
その人とは、和食のグローバル化の源流を作ったキッコーマン卓上醤油差しをデザインした栄久庵憲司氏(1929.9.11~2015.2.8日)だった。

栄久庵氏は、1945年の広島への原爆投下で江田島の実家の寺一帯は焼け野原、しかも妹を亡くし、翌年には被爆の後遺症を患った父親まで亡くしている。栄久庵氏は、廃墟の中でデザイナーになろうと決め、東京芸大へ進学、日本人の新たな生活のため、形ある何かを生み出したいと願ったという。

1959年には、黒川紀章、菊竹清訓ら若手建築家・都市計画家グループと「メタボリズム」を結成、唯一の工業デザイナーとして参加した。

1961年にデザインした永遠の出世作、キッコーマン卓上醤油差しは、母が醤油を注ぐたびに液垂れしていたことを思い出しながら制作したという。
赤いキャップは、60年代の高度経済成長期に入った日本の明るい未来を象徴。このデザインは54年がたった今も変わっていない。米国のニューヨーク近代美術館(MoMA)は、これを日本的なデザインの典型として所蔵しているという。

  醤油差しのデザイン依頼は、キッコーマンが1950-60年代に米国進出を本格化させ、レストランに置く卓上醤油差しのデザインをデザイナーの栄久庵氏に依頼したことによるもの。
もし、キッコーマンが、栄久庵氏にデザインを依頼していなかったら、54年後に外国のメディアが「キッコーマン卓上醤油差しデザイナーが死去」などと報じることはなかったと思われる。
栄久庵氏の他界は「和食」と「日本のデザイン」をあらためて世界の人々に知らせる機会となった。
栄久庵氏は、日本食ブームの源流を作り上げたキッコーマン醤油の例の瓶をデザインしたことで世界でも有名であるが、成田エクスプレスもデザインした実はスケールの大きな工業デザイナーだった。
その後は鉄道車両(こまち・ゆりかもめなど多数)、オートバイ(VMAX)、自転車、冷蔵庫、洗濯機、電話機、印刷機械、ミシン、パソコン、カメラ、2016年夏季オリンピックの東京開催招致ロゴなど多くのデザインを手がけている。日本の工業デザイン界の草分けにして、日本の第一人者として知られた人であった。
以上、

クールジャパンもよいが、日本食はクールジャパンのずぅっとずぅっと前から、キッコーマンなどの努力で世界へ浸透し、源流を作り上げていた。
当記事はねネタとしては遅いが、韓国紙が取り上げていたので再構成した。
    

和

[ 2015年2月18日 ]
スポンサード リンク

 

コメントをどうぞ

関連記事

  • この記事を見た人は以下も見ています
  •  
  • 同じカテゴリーの記事です。
  •   
スポンサード リンク
 
JCNET注目記事!
「医療法人社団菫会」前田章理事長と黒い巨頭(06/08 11:36) 2015:06:08:11:36:29
PR いま建設業界の求人が急増中、当サイトおすすめの「建設・建築求人ナビ」 が便利です。


PICK UP

↑トップへ