紀元前2世紀の多鈕鏡の鋳型を国内初出土 奴国の中心都市須玖遺跡群
福岡県春日市にある弥生時代の集落跡から、「多鈕鏡」と呼ばれる青銅製の鏡を作るための鋳型が国内で初めて見つかった。
専門家は、弥生時代中期には、日本でも高い鋳造技術があったことを裏付ける資料として注目している。
青銅製の鏡を作るための鋳型が見つかったのは、春日市にある弥生時代の集落跡、「須玖タカウタ遺跡」(福岡県春日市須玖南1-22・1-23)。
春日市教育委員会で、「須玖タカウタ遺跡」からの出土品を詳細に調べたところ、青銅製の鏡を作る際に溶かした青銅を流し込むための型として使われた鋳型の一部が新たに確認された。
鋳型は、石で出来ていて、弥生時代中期前半の紀元前2世紀ごろのものと見られ、青銅鏡の鋳型としては最も古いという。
また、鏡の背の部分に「鈕」と呼ばれる穴の開いたつまみを作るためのくぼみが残されていることからつまみを複数施した「多鈕鏡」と呼ばれる鏡の鋳型と見られるということで、「多鈕鏡」の鋳型が国内で見つかったのは初めて。
「多鈕鏡」は、これまで朝鮮半島で作られ日本に運ばれてきたとされていたが、鋳型には、これまでに朝鮮半島で見つかったものとは異なる直線や曲線を組み合わせた独特の文様が確認され、専門家は、「多鈕鏡」が、弥生時代中期前半には日本で作られていた可能性を示すものとして注目している。
「須玖タカウタ遺跡」を含む「須玖遺跡群」では、これまでに青銅製の剣や矛の鋳型など弥生時代の出土品が数多く見つかっていて、古代中国の歴史書に記された「奴国」の中心部と見られている。
春日市文化財専門委員で考古学が専門の福岡大学の武末純一教授は、「国内で最古の青銅鏡の鋳型で、須玖遺跡が奴国の中心地となった弥生時代中期の前半ころには日本に高い鋳造技術があったことが明確になった」と話しているという。
須玖遺跡や近隣の岡本遺跡を総称して「須玖遺跡群」と呼び、春日市岡本には「奴国の丘歴史資料館」があり、これまでの数々の出土品が納められている。
奴国の国から卑弥呼がいた邪馬台国に至る経路が不明のままであり、邪馬台国の所在地も不明のままだ。近畿説は今だ一つの説に過ぎない。浪漫のままがよろしかろう。
架空の人物とされる神武天皇は、宮崎県の高千穂の峰に天孫降臨し、日向の湊から東征開始、宇佐・安芸・河内へ北上し橿原に都を築いたとされる。
日本の歴史は古く、『神祇譜伝図記』などでは天孫降臨来、ニニギは31万8,543年、ホオリは63万7,892年、ウガヤフキアエズは83万6,042年を治世したとされ、合計では179万2,477年となる。・・・大昔、絶対君主を創り上げるための単なる御伽噺の領域だ。
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