アイコン 【 戦後マスコミは巣鴨プリズンで作られた 】


正力松太郎

なるほどね、今日も、ウエマ 裏 アキヒコさんのfbへの投稿を紹介します。

 

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ウエマ 裏 アキヒコ
https://www.facebook.com/jyomaura
巣鴨プリズンの話は特に秘密でもない。
ただあまり積極的に語られないだけです。
敗戦後、いわゆる戦犯は巣鴨プリズンに拘置され、
A級からBC級まで、実に920人が死刑になりました。
そのA級戦犯の中には、読売新聞のオーナーであった
正力松太郎もいました。
正力は最終的に不起訴になったのですが、
その代わりに彼は米国CIAへの協力者になりました。
正力のCIAエージェントとしての
コードネームはPODAM。
彼はGHQの威光を背景に、読売新聞を再興し、
日本テレビの初代社長になり、
1955年には自民党の議員にまでなりました。
クロスオーナーシップとして批判される
新聞社とテレビ局が同一資本という
情報独占可能な仕組みは、
正力松太郎が作ったのです。
読売新聞と日本テレビ。
日本の戦後マスコミは、この二社を中枢に
再編されていった。
ぶっちゃけていえば、右から左まで、
それぞれのポジションが決まっていった。
もちろん基本はすべて左なのですが、
ちょい右っぽいこともいうフジサンケイ、
ガチガチの左の朝日など、
役割が決められていったわけです。
ああ、哀れ日本のアホインテリは、
そんなことも知ってか知らずか、
「俺は思想的な偏りを避けるんだ」といって、
全部の新聞を購読して切り抜いていたのです。
でもそれってみんな、GHQによって、
戦後日本に許された言論の幅の範囲内。
日本の哀れなアホインテリは、
戦後支配の枠内に見事に収まるように、
涵養されていったのです。
ご存じのようにその後、
正力は日本の「テレビの父」「原子力の父」
「プロ野球の父」と呼ばれ大いに称えられました。
彼がそこまで行けたのは、CIAのおかげでしょう。
戦犯でトップエリートを大量に失った日本では
限られた人材にあれもこれもやらせねばならなかった。
人はマルチな英雄のように讃えるけど
結局はGHQの方針でそうなった訳なんです。
私はCIAのスパイ工作員としての
正力を憎むものではありません。
彼は死刑になる代わりにその道を選び、
台本どおりとはいえ日本国を導いたのです。
しかし何も疑わず彼を褒め称え、
右から左まで新聞を購読しテレビをみて、
知識人のつもりでいたエセインテリどもは、
本当に無惨としか思えません。
彼らの一部はいまだに生きていて、
なんやったらいまだに新聞を切り抜いています。
私がこの目で見たのだから確実です。
戦後思想の亡霊みたいなもんです。
私はこの頃よく思います。
インテリとはただの職業分野です。
たまたまその分野にいる人は、
インテリ区分になっているが、
特別に頭が良いとは限らない。
むしろとてつもなく頭が悪く、
ものを知らず、自分で調べようともしない人が
割と多く、インテリ業をやっていて
暗鬱な気分になります。

[ 2025年11月24日 ]
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