【何やってんだオマぇ!】これで長崎県大石知事も全国区へ

「憤り」を向ける相手を間違えている ― 大石知事という危うさ、さすが宏池会の金子原二郎氏が担ぐだけはある媚中派知事である。
大石賢吾知事は、高市政権の安全保障政策担当者が、オフレコで核抑止に言及したことに対し「憤りを感じる」と語ったという。
一方で、中国便(上海線)の運航再開・維持を求め、中国総領事に頭を下げて協力を要請したことを、まるで成果のように自ら明かしている。
この時点で、知事の問題点ははっきりしている。
憤るべき相手と、頭を下げる相手を完全に取り違えているのだ。

核の現実には沈黙し、核の議論には激昂する矛盾
いま、中国は約600発の核弾頭を保有し、日本を射程に収める核ミサイルを着実に増やしている。
北朝鮮はすでに核の実戦配備を終え、ロシアは核恫喝を日常的に使い、米国の拡大抑止の信頼性低下が真顔で議論される時代だ。
この状況で、安全保障担当者が
「核抑止を含めた議論が必要だ」
と口にするのは、挑発でも暴論でもない。現実を前にした最低限の抑止力である。
それに対して大石知事が示したのは、「受け入れられない」「憤りを感じる」
という、中身のない感情表明だけだった。
では問いたい。
核を増やし、日本を射程に収めている中国に対して、知事は何に「憤った」のか。
答えは明白だ。何も憤っていない。

脅威を作る国には沈黙し、備えを語る側を叩く倒錯
中国の核増強には抗議せず、
核抑止の議論を始めようとした日本側の発言には「憤り」を表明する。
これは平和主義ですらない。
ただの現実逃避であり、薄っぺらい政治的ポーズにすぎない。
安全保障とは「嫌な現実」を直視する作業である。
それを放棄し、議論そのものを悪と決めつける政治家は、平和を守るのではなく、無防備を正当化しているだけである。
中国総領事に頭を下げるという致命的な軽さ
さらに深刻なのは、日中関係の悪化や政治的要因を背景にした航空路線問題に対し、中国総領事館へ「路線利用促進への協力」を要請したことを、知事自身が誇らしげに語っている点だ。
これは外交努力ではない。
外交カードを自分から差し出す救いようのない行為である。
地方政府が「お願いします」と頭を下げれば、相手はこう理解する。
圧力をかければ、日本の地方は折れる。
このメッセージを送っておいて、
一方では日本の安全保障議論に「憤り」を向けるとは、正気の沙汰とは思えない。
長崎の歴史を盾にした思考停止
長崎が歴史的に中国と深い関係を持ち、ランタンフェスティバルなど中国由来の文化が根付いていることは事実だ。
しかし、それと安全保障上の迎合は別問題である。
しかも長崎県内には、台湾にルーツを持つ人々も数多く暮らしている。
本来、地方行政は特定国家に感情移入する立場ではない。
歴史や文化を盾に、現代の脅威評価を放棄するのは、伝統の尊重ではなく、責任放棄である。
最も危険なのは「考えないこと」を善とする政治
核武装を是とするか否かは、当然議論が分かれる。
だが、
• 国防の議論を感情論で封じ
• 中国の顔色をうかがい
• 外交カードを自ら献上する
この姿勢が国益を損なうことだけは、議論の余地がない。
大石知事の発言が示したのは、
平和への信念ではなく、安全保障を考えない政治の軽薄さである。
「憤り」を語る前に、何に備え、何を守るのかを語るべきだった。
それができないのであれば、知事の言葉は理念でも勇気でもなく、
ただの自己満足なポーズ以外の何者でもない。
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次





