アイコン 翁長沖縄知事すい臓に腫瘍 手術へ/手術後はどうなる

 

 

12日、翁長知事の病状が各マスコミで報道されている。

検査の結果、知事のすい臓に腫瘍が見つかり、4月にも手術をおこなうとしている。

早期発見とのことで問題はないとしているが、すい臓に腫瘍が見つかった場合は、完治までの体力がかなり必要とされる。

早期発見だった、任天堂の故岩田聡元社長もすい臓の病で激やせし、社長業への復帰も遅かった。

手術後の翁長知事の動きはどうなるだろうか。

 

今回も珠玉のブログ(農と島のありんくりん)を読んでみてください。

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農と島のありんくりん
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/

翁長氏がすい臓癌であることが公表されました。 

知事は早期の公務復帰を述べていますが、常識的に考えてそうとうの無理があり、政治復帰を急ぐあまりかえって健康に障害がでることもあります。 

さて、今後について少し考えてみたいと思います。 

まず、前提として押えておくべきは、翁長氏はこれによって知事候補とはなりえなくなったことです。 

翁長氏は現在68歳、政治家としては決して老齢には入りませんが、胃癌に次いですい臓癌が分かった場合、今後、激務である政治生活を継続することには無理がありすぎます。
翁長雄志 - Wikipedia 

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http://www.sankei.com/affairs/news/180109/afr1801090017-n1.html 

当人がその気であっても、家族や周囲が許さないでしょう。 

では、反翁長陣営が有利になったのかといえば、まったく違うと思います。 

翁長氏はこの病によって、批判することが難しくなった「聖なる場」に登りました。 

「病」は、その人のさまざまな間違い、失敗をも浄化する働きがあるからで、以後、沖縄において翁長氏を批判することには慎重にならざるを得ない雰囲気が生じるはずです。 

これは反翁長陣営にとっては、大変にやりにくい状況が生まれてしまったことになります。 

翁長県政のどこが間違いだったのか、なにが行き過ぎだった のかを明らかにしていく議論をせねばならない今、その口が重くなるのは避けられないでしょう。 

また、翁長氏がこのまま辞任するなら6月にも知事選ということになりますが、翁長氏はその道はとらないでしょう。 

おそらく副知事を代行を立て、知事という権威を維持しながら次の知事候補選びに影響を与えると思われます。

翁長氏という人物は、善きにつけ悪しきにつけ、バイタリティある泥臭い野心家です。 

彼は、本土では勘違いされていますが、無思想な人物です。誹謗しているわけではなく、右でもなけれは左でもないという意味です。 

そこが同じ「オール沖縄」陣営でも、伊波洋一氏や糸数慶子氏、あるいは山城博治氏とは根本的に異なるところです。 

彼らの思想と行動にはコミュニズムがありますが、翁長氏にはそれはありません。 

有名な話ですが、2001年5月に自民党の全面支援で那覇市長に当選した翁長氏が、まっさきにしたのが市庁舎に日の丸を掲揚することでした。 

以後彼は、本土政府の沖縄側受け皿として、自民党県連大幹部の経歴を重ねることになります。 

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 2014年11月、翁長氏が仲井眞知事を裏切って左翼陣営に走ったのは、思想故ではなく、端的にこのままでは知事になれないと踏んだからです。 

当時、翁長氏は63歳。仲井眞氏は右腕の自分に知事を禅譲すると思い込んでいたにもかかわらず、その思いが断たれたと感じたからでした。

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そして今ひとつ転向した理由は、当時の沖縄を覆っていた空気です。 

それは鳩山首相の作った「最低でも県外」の夢が断たれた怒りと、まだ抵抗の術はあるのではないかとする気分が支配的でした。 

まさに空気で、翁長氏が丸々3年半かけて、その方途は実はまったくないことなど、本土政府との交渉を重ねてきたはずの老練の政治家に、それがあらかじめわからないはずはありません。 

それにもかかわらず、なぜ翁長氏はその袋小路にみずから飛び込んで言ったのでしょうか。 

理由は、あんがい簡単です。先程述べたように翁長氏が泥臭い野心家であったからです。 

その野心家のリアリスティックな眼から見れば、仲井眞氏の承認もまた行政官としての理想論でしかなく、今の県の雰囲気に真正面から対決しては、ぜったいに敗れると踏んだのです。 

勝てない勝負には乗らない。政治家は当選してバッチをつけてなんぼというのが、翁長氏の信条だったはずです。 

知事選に勝つには、このポスト鳩山の「最低でも県外」の流れに乗るしかないじゃないか、そのためには、保守だとかなんとか言っていないで、共産党、社民党らと手を結ぶ以外なにがあるんだ、これが当時の翁長氏の考えでした。

しかしやがてこの場当たり的な政治選択は、翁長氏をがんじがらめにして、ミイラ取りがミイラになるようにして知事という「黄金の籠」の捕らわれ人となっていくのは、ご承知のとおりです。

それはさておき、当時はこのように絶対反対の交渉ハードルを高くすれば、本土政府は更に譲歩を重ねて補助金交渉も楽に進むという現実的思惑もあったはずです。 

そして、翁長氏はこの知事選に勝ったわけです。 

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 そのような翁長氏にとって、長引かせて嫌がらせ的政策を小出しにすることこそが、権力の持続の秘訣だったはずです。 

ここには小川和久氏が期待する腹芸など入り込む余地など皆無です。 

つまり、翁長氏は移転問題を解決する気などそもそもなかったのです。 

移転問題の泥沼化こそが翁長氏の目指すものであって、これが左翼陣営の利害と一致しただけのことです。

長くなりましたので、続きは明日にします。

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[ 2018年4月12日 ]

 

 

 

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