≪第四弾≫玄海灘の海砂は誰のものか

監督庁としての長崎県の怠慢にも問題がある。
もっと踏み込めば、未必の故意による黙認が疑われても仕方がないレベルの怠慢である。
特に問題なのは、採取許可区域が境界線隣接エリアに集中しているという点である。
なぜ、わざわざ県境ギリギリなのか。
なぜ、紛争が起きやすい場所に許可区域を置くのか。
なぜ、境界線から十分な距離を取らないのか。
本当に越境採取を防ぐ意思があるのなら、境界線から500メートル、いや1キロ以上離すのは当然の措置である。

それをしないまま「適正に許可しています」と言うのであれば、説得力はゼロである。
ブレーキの壊れた車に「安全運転をお願いします」と張り紙して走らせるようなものだ。
海砂採取船は、海の上を走っている。
波もある。潮もある。
作業中に境界線ギリギリを正確に守るというなら、なおさら厳格な監視と距離の確保が必要である。
それをせず、境界線付近に採取区域を置き続けるのは、越境採取が起きてもおかしくない環境を行政自らが作っているに等しい。
そして忘れてならないのは、損害を受けているのは海底だけではないということだ。
漁業者である。沿岸住民である。佐賀県側の海域で生活する人々である。
海砂を掘れば、海底地形は変わる。当たり前のことである。
当然、濁りも出る。
魚の通り道、産卵場、漁礁環境にも影響する。
海は単なる砂の倉庫ではない。
生き物の住処であり、漁業者の生活の場であり、地域の共有財産である。
にもかかわらず、もし佐賀県側の海砂が長崎県側の業者によって採取され、その土石採取料が長崎県に納付され、迷惑補償料が壱岐市側の漁協等に流れていたとすれば、これは構造的におかしい。
佐賀県側の資源を掘ったなら、本来、土石採取料は佐賀県に帰属すべきである。
佐賀県側の漁場に影響を与えたなら、迷惑補償料は壱岐市東部漁協の浦田和男に払うのではなく、佐賀玄海漁協や沿岸の関係者に向けられるべきである。
被害を受けた側に金が行かず、採取を許した側や別の漁協側に補償料が流れていたとすれば、これは「迷惑補償」という言葉の意味そのものが崩壊している。
誰が迷惑を受けたのか。
誰が得をしたのか。
誰が黙っていたのか。
そこを明らかにしなければ玄海灘に未来はない。
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次





