最終話:夜明け前の鐘
午前5時。
冬の空はまだ色を持たない。
街灯だけが点を描き、
時間は冷たく、無音で流れる。

県護はデスクに座っていた。
資料は閉じてある。
読むためではない。
終わりに備えるための整頓。
携帯が震える。
一度。
二度。
止まる。
画面には、短く、簡潔な文字。
整った。

確証ではない。
だが、十分だ。
政治における「確実」は、不要な贅沢である。

県護は立つ。
コートを羽織る。
重さは感じない。
感覚は道具、道具は選ぶ。
廊下。
警備員が一礼する。
県護は返さない。
礼は儀式で、
儀式は余裕のある側が使うものだ。

外気は鋭い。
だが、寒さは判断を鈍らせない。
温度は行動を定義しない。
車のドアが開く。
運転手の視線は前方。
会話はない。
必要がない。
タイヤがゆっくり雪を踏む。
音は深い。
音さえも慎重だ。
市内、別の場所。

研斗陣営の会議室。
空気は張りつめている。
だが張力は強さではない。
「……本当に?」
若い声。
強さより、期待の揺れが滲む。
年長の男がメモを置く。
動作は慎重、
表情はない。
「動いた者がいる」
「どこから?」
答えはない。
情報は与えられるものではなく、
歩み寄る者が触れるもの。
沈黙が落ちる。
希望は言葉で崩れ、
現実は沈黙で固まる。
「……まだ終わっていない」
小さな声が震える。
年長の男は首を振る。
「終わったのではない。
決まっただけだ。」

橋の上。夜明け前。
啓介は一人立っている。
雪は細く、光はまだ遠い。
携帯が震える。
一言だけ。
静かに。
返事はしない。
理解は言葉を必要としない。
啓介は空を見る。
黒に近い群青。
星はない。
勝利は祝福を必要としない。
遠く、教会の鐘が鳴る。
祝福ではない。
告知だ。
世界は気づかない。
街は眠ったまま。
だが、未来だけが目を覚ます。
完
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次





