≪長崎県民の皆さんへ≫長崎県美術館の裏口から入る金子、大石政治の真実!その②

今から23年前の平成13年(2002年)7月6日、長崎県金子原二郎県政は長崎市常盤・出島地区に予定されていた長崎県新美術館(仮称)について、建設工事設計業務の公募型プロポーザル(2段階方式)の手続き開始について公募した。
業務内容は、
(1)業務名 長崎県新美術館(仮称)建設工事設計業務
(2)業務内容 施設概要:美術館(延床面積9,000㎡程度)
建設場所:長崎市常盤・出島地区
(3)履行期間 契約日の翌日唐12か月間(予定)であるが、参加表明書の配布及び提出期間は7月27日までに、長崎県政策調整局都市再整備推進課がインターネットのホームページで公開している。
金子県政2期目を迎える大事な知事選が行われようとしていた時期である。
ちょうど、半年後の平成14年(2003年)2月には知事選が始まり選挙資金が必要になってきた頃である。

総事業費85億円は、『ヵネコに鰹節』と呼ばれた長崎県立美術館建設工事だった。

『1粒で2度美味しい(グリコ戦略)』年間3億5000万円の資金は指定管理者制度と回り続ける金と人たち。
長崎県立美術館『公益財団法人 長崎ミュージアム振興財団(金子原二郎理事長)』である。
ここが「政治」と無縁の、純粋な文化空間だと思っている県民は、いったいどれほどいるだろうか。
表に出てくるのは、アート、創造性、国際性、市民に開かれた文化。
だが、裏側の名簿をたどると、まったく別の物語が見えてくる。
それは、人だけが入れ替わり、構造だけが固定された円環の物語である。

■ 設立時のトップが「分からない」という異常
公益財団法人 長崎ミュージアム振興財団・理事長・金子原二郎は、平成16年1月に設立された。
金子原二郎氏が深く関与し、県立美術館を運営する中核組織である。
にもかかわらず、設立当初の理事長が誰だったのか
この最も基本的な情報が、公開されている定款や財団概要からは明確に確認できないのだ。
これは小さな話ではない。
企業であれ、NPOであれ、財団であれ、
「誰が最初にトップに座ったのか」は、その組織の性格を決定づける。
それが見えないということは、最初から県民に説明する気がなかった
そう疑われても仕方がない。
■ 後から現れる“管理された顔”
一方、設立から10年後の指定管理者選定資料には、財団の代表者として村木文郎氏の名前が記載されている。
この資料は後年のものだ。
だが、すでに理事長として登場しているという事実は、初期から運営の中枢にいた可能性が高いことを示唆している。
重要なのは、「誰が悪いか」ではない。
問題は、なぜ、設立当初のトップだけが見えないのかという一点だ。
JC-net・日刊セイケイ編集長・中山洋次
その③につづく。





